今日の論語一日一章「吾與囘言終日」

 10月19日は北狄の合評会。参加者は、未津きみ、秋村健二、小野木正夫、倉谷広隆、宰木陽二、それに私の6人。いずれも北狄360号に作品を発表している。合評会は、午後6時~9時半まで、作品の評価批評と雑談を含めて、極めて和やかに終始行われた。
 合評会で私の作品「風の岬にとり遺されて」はいくつかのまっとうな指摘を受けた。作り話の方法に難点があり、アカエリヒレアシシギの引用に問題ありとの指摘もなされた。
 でもよく書けているとの評価も一部受けた。次号361号の締切は11月25日、頑張らねばならない。

 今日の孔子の「論語」一日一章は、第2篇「為政第二」の第9章「吾與囘言終日」(吾回と言ふこと終日)です。
 この章の漢文原文はこうです。
 「子曰、吾與囘言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。囘也不愚。」
 また、この章の読み下し文はこうなります。
 「子曰く、吾回と言ふこと終日。違わざること愚の如し。退いて其の私を省みれば、亦以て発するに足れり。回や愚ならず」
 これの中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,吾与回言终日,不违如愚。退而省其私,亦足以发。同也不愚。」
 この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子は言った。わしは回と朝から晩まで学問上の話をするけれども、わしの言うことと意見の相違があって反問するということもなく、まるで何もわからない愚人であるかのようである。回がわしの前を退いた後、わしは回の私的生活を観察すると、彼もまたわしの話した道理を一々差(たが)うことなく行為の上に発することができるのである。回は愚人ではない、と。」
 ここでの語句の解釈は次の通りです。
 言ふ;学問上の話をするという意味。
 終日;朝から晩まで久しいことをいっている。
 違(たが)わず;意見の相違がなくて反問などをしないこと。
 愚;無知で何もわからないことをいう。
 退く;ここでは、顔回孔子の前を退くことをさしている。
 省みる;省察すること。
 其の私;顔回の日常の独り居る時、あるいは朋友などに接する時をいう。すなわち、孔子の面前にいない時のこと。
 発す;発明の意味。行為の上についていう。
 この章は、孔子が弟子の顔回(顔淵)を称(ほ)めている章です。
 回は、姓を顔、名を回、字を子淵という。孔子の弟子のうちで最も優れていた人であるけれど、孔子の存命中に32歳の若さで死んでしまった人です。孔子顔回を称(ほ)めた語は、論語の中にたくさんでてきます。
 この章は、顔回の入門当時のことであろうと言われています。