今日の論語一日一章「関雎樂而不淫、哀而不傷」

 昨夜、葉さんからもっと自分の言葉で語れと言われました。でも、いまの僕には、まだそれだけの力を持ち合わせていません。修業がたりないのです。いましばらく、論語一日一章を続けます。
 
 今日の論語一日一章は、第3篇「八佾第三」の第20章「関雎樂而不淫、哀而不傷」(関雎は楽しんで淫せず。哀しんで傷(やぶ)らず)です。
 これの漢文原文はこうです。
 「子曰、関雎樂而不淫、哀而不傷。」
 また、読み下し文はこうなります。
 「子曰く、関雎は楽しんで淫せず。哀しんで傷(やぶ)らず。」
 さらに、中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,関雎乐而不淫,哀而不伤。」
 ここで、この章の日本語詳訳はこうなります。
 「孔子がいわれた。関雎の詩は、后妃の徳は君子の配偶者となるべきものであること、まだこのような后妃を求めて得られなかった時には寝ても覚めても思っていて、寝られないので、ついに床の上で幾度も寝返りするほどに患えたこと、求めて得た時には琴瑟鉦鼓等の楽器を奏して楽しんだことをことを述べているが、盛んに楽しんでも正を失わず、深く憂えても和を害さないのである、と。」
 今日の語句・語彙の注釈はこうです。
 関雎;詩経の国風という篇にある詩篇の名前です。
 淫す;楽が過ぎて正しい道に外れることをいいます。
 傷(やぶ)る;哀しみが過ぎて心の平和を害することをいいます。
 この章は、孔子詩経の関雎を評した件です。
 朱子孔子がこのように関雎の詩を誉めたのは、「後の学者が、その詩の文句を玩味しその声音を審らかにして詩人の心情の正しいことを識ことを欲したのである。」と言っています。
 ここで詩経の関雎を紹介します。あえて訳はつけません。
 「關雎」
 關關雎鳩,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。
 參差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。
 求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,輾轉反側。
 參差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。
 參差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,鐘鼓樂之。