今日の論語一日一章「雖在縲絏之中、非其罪也」

 いよいよ、論語も第5篇「公冶長第五」になりました。この篇はほとんどみな古人の人物の賢否得失を論じています。学者の格物窮理の一端であるともいわれています。胡虎(1098年 - 1156年は南宋初期の中国の儒学者。字は明仲。致堂先生と称される。著名な儒学者・胡安国の弟の子)は子貢の徒の記すところが多くあるまいかと言っています。この篇はすべてで二十七章あります。

 今日の論語一日一章は、第5篇「公冶長第五」の第1章「雖在縲絏之中、非其罪也。」(縲絏の中に在りと雖も、其の罪にあらず。)です。
 この章の漢文原文はこうです。
 「子謂公冶長。可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也。以其子妻之。子謂南容。邦有道不癈、邦無道免於刑戮。以其兄之子妻之。」
 さらにこの漢文の読み下し文はこうです。
 「子公冶長を謂ふ、『妻(めあ)はすべし、縲絏の中に在りと雖も、その罪にあらず』と。其の子を以て之に妻(めあ)はす。子南容を謂ふ、『邦道あれば廃(す)てられず、邦道なきも刑戮を免る』と。其の兄の子を以て之に妻(めあ)わす。」
 また、これの中国語簡体表記はこうです。
 「子谓公冶长。可妻也。虽在缧绁之中,非其子妻之。子谓南容。邦有道不癈,邦无道免於刑戮。以其兄子妻之。」
 この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子が公冶長の行いを論じて言われた。『彼は妻(めあ)わしてよい人物だ。かつて、罪を受けて獄中に繋がれたけれども、自ら招いた罪ではない』と。そして、己の女(むすめ)を長に妻(めあ)わせた。孔子は南容の行いを論じて、『彼は平日、言行を謹んでいるから、国がよく治まっているときは、廃(す)てられないので、用いられ、国が乱れているときにも刑戮の禍いにかかることはない』と曰って、その兄の女をこれに妻わせた。」
 今日の語句・語彙の注釈はこうなります。
 縲絏(るいせつ);縲は黒い索(なわ)、絏は「つなぐ」、古(いにしえ)は獄中では黒縄で罪人をつないだのです。
 邦道あり;国内に道の行われている時で、治世のことです。
 邦道なし;乱世のことです。
 この章は、孔子が己の女(むすめ)と兄の女との婿を択んだことを述べた章です。
 ここで、公冶長は姓を公冶、名を長、字を子長といいます。孔子の弟子です。南容は南宮にいた人で、名を稻(とう)、また名を适、字を子容、諡を敬叔といいます。孟懿子の兄であり、また孔子の弟子でもあります。
 南容が言葉を謹んだので、孔子が己の兄の女をこれに妻わせたのは第11篇の先進篇に出てきます。