今日の論語一日一章「三年無改於父之道、可謂孝矣。」

 今日の論語一日一章は、第4篇「里仁第四」の第20章「三年無改於父之道、可謂孝矣」(三年父の道を改むるなきを孝と謂ふべし)です。
 これの漢文原文はこうです。
 「子曰、三年無改於父之道、可謂孝矣。」
 また、読み下し文はこうなります。
 「子曰く、三年父の道を改(あらた)むるなきを孝と謂ふべし。」
 さらに、これの中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,三年无改於父之道,可谓孝矣。」
 ここで、この章の日本語訳はこうです。
 「孔子がいわれた。父の死後三年も父の行い来った事を改めないようでなければならない。自分勝手に何でも行うことができるおうになっても、なお親がいなくなったと思うに忍びない心があってこそ、初めて孝ということができるのである、と。」
 この章の語彙・語句の注釈はこうなります。
 道;ここでは、事というような意味です。
 この章は、第1篇「学而第一」の第11章の後段の二句と同じであり、人の子たる者の人柄を観る法を述べた章です。父の存命中には自分勝手なことができないので、親が死んだからといって、子は自分勝手なことができるようになるからその行いの得失を観て自分の行いをするというのでは、孝とはいえないというのが、学而第一の章には前段にあります。そのうえで、孝たる子というものは、父の死後も三年(何が何でも三年と限定しているわけではなく)は、細かにその用心の厚薄を看るのであって(喪に服す)、語気があいよって逓下し、親を忘れるに忍びないところを重く見ているのです。
 ここで、尹焞(いんじゅん)はこうもいっています。「父のした事が道にかなっているならば、子は一生改めなくてもよい。もし道にはずれているならば、即時に改めるがよい。『三年改むるなし』というのは、孝子の心は親を死せりとするに忍びないからである。」と。
 (ここで、尹焞とは、いんじゅん、北宋儒者。1061-1132年。程伊川の門人。程子の門人なり。名は焞じゅん、字は彦明げんめい、河南の人。 本伝は宋史道学伝、並びに伊洛淵源録・言行録外集等に見えたり。著するところ論語解及び門人問答あり。)