今日の論語一日一章「仁者先難而後獲」

 今日は6月28日金曜日です。6月も早いものであと3日となりました。今朝は6時半に起き、新聞を読み(7月27日に三浦雄一郎氏に青森名誉市民特別功労賞を与えその授与式をやる)、朝食後、東奥柳壇への投句を書きました。今日はうす曇りでヤマセのようで、すこし肌寒い感じです。暗い世相が雲の向こうに透けて見えます。

 さて、今日の論語一日一章は、第6篇「雍也第六」の第20章「仁者』先難而後獲」(仁者は難きを先にして獲るを後にす)です。
 この章の原文はこうです。
 「樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣。問仁。曰、仁者先難而後獲。可謂仁矣。」
 これの読み下し文はこうです。
 「樊遅、知を問ふ。子曰はく、『民の義を務め、鬼神を敬して之に遠ざかる。知と謂ふべし。』仁を問ふ。曰はく、『仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂ふべし。』と。」
 ここで、中国語簡体表記はこうなります。
 「樊迟问知。子曰,务民之义,敬鬼神而远之。可谓知矣。问仁。曰,仁者先难而后擭。可谓仁矣。
 Fánchíwèn zhī. Zǐ yuē, wu mín zhī yì, jìng guǐshén ér yuǎn zhī. Kěwèi zhī yǐ. Wèn rén. Yuē, rénzhě xiān nán érhòu huò. Kěwèi rén yǐ。」
この章の日本語訳はこうです。
 「樊遅がどんな行いをすれば知と謂われるかと孔子に問いました。孔子が曰われるには、『専ら人の行うべき道を務め、鬼神を敬してこれを祭って、鬼神に狎れ近づいて福を求めるようなことをしなければ、知と謂うことができる。』と。樊遅がまた、どんな行いをすれば仁と曰われるのかと問いました。孔子が曰われるのには、『仁者は心に私欲がないから、必ずまず行い難い己の義務を行い遂げようとして、その効果を考えることは後まわしにする。このようであれば仁と謂うことができる。』と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 知;心の聡明なことをいいいます。
 民の義;人の務むべき道のことです。民は人の意味にとります。
 務め;力を尽くす意。
 敬;誠を尽くして祭ることです。
 之に遠ざかる;媚びて福を求めたりなにかしないことです。
 仁;私欲のないことです。
 この章は、仁と知について述べています。樊遅が損得を考えたり、鬼神を信じてこれに迷ったりする欠点があったから、それを救うために告げられたものと思われます。
 「民の義を務め、鬼神を敬して之に遠ざかる」のは、人道のようなまさに知るべき所を知って、鬼神のような知るべからざる者に惑わないのでありますから、まさに知であります。「難きを先にして獲(う)るを後にする」のは、心が専ら道理に従って私情を雑(まじ)えていないのでありますから、これは仁であります。