今日の論語一日一章「天生徳於子、桓魋其如子何」

 今日は7月28日、日曜日です。

 今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第22章「天生徳於子、桓魋其如子何」(天徳を予に生ぜり。桓魋其れ予をいかんせん)です。
 ここで、この章の原文はこうです。
 「子曰、天生徳於予、桓魋其如予何。」
 これの読み下し文はこうなります。
 「子曰はく、天徳を予(われ)に生ぜり。桓魋(かんたい)其れ予をいかんせん。」
 これの中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,天生德於予,桓魋其如予何。
Zǐ yuē, tiānshēng dé yú yǔ, huán tuí qí rú yǔ hé 。」
この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子が言われた。天がわしにこのような徳を賜る以上は、天はわしを助けるに違いない。桓魋がいかに狂暴でも、天意に違ってわしを害することは決してできるものではない。諸君は安心しているがよい、と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 天;万物を生じこれを主宰する偉大な力のあるものをいいます。
 予(われ)をいかんせん;「わしをどうすることができよう。」ということで、必ず己を殺すことはできないという意味です。
 この章は、孔子の自ら信ずるところの固いことをあらわしたものです。桓魋(かんたい)は宋の人で、孔子の門人の司馬牛の兄です。孔子が宋へ行った時、桓魋が孔子を殺そうとしたのを見て、弟子が恐れたから、孔子は弟子たちを慰めるために、この語を発せられたのです。
 この章や後にでてきます「匡(きょう)に畏す」の章(子罕第九の第4章)を見れば、孔子がいかに自ら信ずることの固いかが知られると思います。