今日の論語一日一章「不義而富且貴、於我如浮雲」

 今日は7月21日参議院選挙の投票日、しかも私の64歳の誕生日です。天気は晴れです。室温は23℃です。涼しい初夏の気候です。

 今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第15章「不義而富且貴、於我如浮雲」(不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し)です。
 これの原文はこうです。
 「子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。」
 読み下し文はこうなります。
 「子曰はく、疎食(そし)を飯(くら)ひ、水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦其の中に在り、不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し、と。」
 ここで、中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,饭蔬食饮水,曲肱而枕之,乐亦在其中矣。不义而富且贵,於我如浮云。
  Zǐ yuē, fàn shū shí yǐnshuǐ, qū gōng ér zhěn zhī, lè yì zài qízhōng yǐ. Bùyì ér fù qiě guì, yú wǒ rú fúyún。」
 この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子が曰はれた。粗末な飯を食い、水を飲み、肱を曲げて枕とするような困窮な生活をしても、心の真の楽しみはそのうちに在って失われることはない。かの不義な富貴は、わしから見れば浮雲の定めのないのに似ている。どうしてこのようなものに心を動かされることがあろう、と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 飯(くら)ふ;食うことです。
 疎食(そし);粗末な飯のことです。
 水を飲み;茶や酒などは飲まないで水を飲むことをいっています。
 楽しみ;ここでは、心のたのしみをいっています。
 其の中;疎食を飯い、水を飲み、肱を曲げて、これを枕とする生活のことをさしています。
 この章は、孔子の心には困窮のうちにも真の楽しみのあることを述べたものです。
 孔子は貧乏な生活を楽しんでいるのではありません。貧乏な生活をしても、心の楽しみを失わないのです。また、富貴を軽んじているのでもありません。義にかなった富貴ならば、喜んで受けるのです。軽んじているのは不義の富貴なのです。