今日は2014年12月24日クリスマスイブです。毎日、勉強三昧の日々です。今夜は家人と二人でクリスマスケーキを食べる予定です。
67 我每看运动会时,常常这样想,优胜者固然可敬,但那虽然落后而仍非跑至终点不止的竞技者,和见了这样竞技者而肃然不笑的看客,乃正是中国将来的脊梁。
(運動会を見るたびに、いつも考える。勝者はもとより敬うべきだが、遅れても絶対にゴールまで駆け抜けようとする選手と、その選手を見ながら粛然として笑わない観客、彼らこそまさに中国の将来の脊梁(せぼね)である。)
68 历史上都写着中国的灵魂,指示着将来的命远,只因为涂饰太厚,废话太多,所以很不容易察出底细来。正如通过密叶投射在莓苔上面的月光,只看见点点的碎影。但如看野史和杂记,可更容易了然了,因为他们究竟不必太摆史官的架子。
71 我以为国民倘没有,没有勇,而单靠一种所谓「气」实在是非常危险的。
(国民が、もし智恵もなく、勇気もなく、一種のいわゆる「気(いかり)」にのみ頼るならば、それはあまりに危険すぎる。)
69 任凭你爱排场的学者们怎样铺装,修史时候设些什么「汉族发祥时代」「汉族发达时代」 「汉族中兴时代」的好题目,好意诚然是可感的,但措辞太绕湾子了。有更其直捷了当的说法在这里―― 一、想做奴隶而不得的时代;二、暂时做稳了奴隶的时代。
(見栄っ張りの学者たちは、いかにもったいぶろうかと、歴史編纂にあたって、「漢族発祥の時代」「漢族発達の時代」「漢族中興の時代」などと、ご立派な題目を並べたてる。好意はありがたいが、言葉づかいがあまりにも回りくどい。ここにずばり、的をつく言い方がある―― 一、奴隷になりたくともなれなかった時代、二、しばらくは奴隷に安んじられた時代。)
70 要进步或不退步,总须时时自出新裁,至少也必取材异域,倘若各种顾忌,各种小心,各种唠叨,这么做即违了祖宗,那么做又像了夷狄,终生惴惴如在薄冰上,发抖尚且来不及,怎么会做出好东西来。
(進歩するか、あるいは退歩しないためには、常にみずから新たな機軸を見出し、少なくとも外国から素材(しげき)を取り入れるべきだ。もし、あれこれと気兼ねしたり、不安がったり、くどくどと「こうしたら祖先に背くことになる」「ああしたら蛮族同然だ」などと言い、一生涯、薄氷の上でびくつき震えが止まらず、ゆとりもないようなら、どうして良いものなどつくり出せよう。)