昨日29日は、午後に歳暮配り、朝から夜中まで、最終的には今朝の5時に最後の投函を済ませるまで、年賀はがきの作成に時間をかけました。510枚ほど宛名をプリントアウトしました。
子規歳時
詩百篇君去って歳行かんとす(明治29年12月29日)
子規は、「松蘿玉液」を明治29年4月から12月30日まで「日本」に連載しています。12月31日、「松蘿玉液子を祭る」を掲げて終わっています。これが、子規の随筆の最初といわれています。
掛乞の曰く主人の曰くかな(明治34年12月30日)
子規は、明治18年の暮れ、同郷の学友たちと同じ下宿にいましたが、下宿料が滞って払えなかったようです。学友の井林が29日こと、どこかに出かけたままかえってこないので、下宿の主人から下宿料の督促を受けたのを思い出した句です。
111 不在问现在要什么,只问自己能做什么。
(今何が必要なのかを問わなくてもいい、自分に何ができるかを問うことです。)
112 人类最好是彼此不隔膜,相关心。然而最平正的道路,却只有用文艺来沟通,可惜走这条道路的人又少得很。
(人類はお互いに分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいい。しかし、その最も平坦な道は、文芸をもって通じ合うほかはないが、惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ないのです。)
113 文艺是国民精神所发的火花,同时也是引导国民精神的前途的灯火。
(文芸は国民精神が発する火の光であり、同時にまた、国民精神の前途を響く灯火でもあります。)
114 嗜好的读书,该如爱打牌的一样,天天打,夜夜打,连续的去打,有时被公安局捉去了,放出来之后还是打。诸君要知道真打牌的人的目的关不在蠃钱,而在有趣。牌有怎样的有趣呢,……它妙在一张一张的摸起来,永远变化无穷。我想,凡嗜好的读书,能够手不释卷的原因也就是这样,他在每一叶里,都得着深厚的趣味。
(好きでやる読書は、麻雀好きが、昼も夜もなく打ちつづけ、警察に捕まろうとも、出て来るなりまた打つのと似ています。皆さん、真の麻雀打ちの目的は金稼ぎにではなく、愉しみにあるのです。麻雀の愉しみとはどんなものでしょうか。…… その妙味は、牌を一つ一つ積ってくることによって、どこまでも変化が尽きないことにあるようです。好きでやる読書が、書物から手を離せなくなる理由も、似たようなものではないでしょうか。読者は、一頁一頁のなかに、味わい深い面白味を汲みとっているのです。)
115 有关本业的东西,是无论怎样节衣缩食也应该购买的,试看绿林强盗,怎样不惜钱财以买盒子炮,就可知道。