今日は振り替え休日です

 今日から一週間、減量作戦を開始します。とにかく、80キロの体重まで落とすことから始めます。その間、一生懸命、小説を書くことに専念したいと思います。
 昨日、仙台への往復の車中、「先生に教わった雪の花」を推敲し、新年会から戻り、最後の手直しをして、完成させました。16枚くらいの小品ですが、自分としてはよく書けたと思っています。
 
 さて、昨日は成人式で、仙台駅には振袖を着飾った新成人の姿があちこちで見受けられました。私も新しい気持ちになったことはいうまでもありません。次は、幻想小説の番です。今日から10日間、取り組みます。
 
 今日の論語は、温故知新、君子不器、先行其言而後従之、君子周而不比小人比而不周、学而不思罔思而不学則殆、の5章です。
 
2-11 子曰,温故而知新,可以为师矣,
(子曰わく、故(ふる)きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。)
2-12 子曰,君子不器
(子曰わく、君子は器ならず。)
2-13 子贡问君子,子曰,先行其言,而后从之,
(子貢、君子を問う。子曰わく、先ず其の言を行ない、而して後にこれに従う。)
2-14 子曰,君子周而不比,小人比而不周,
(子曰わく、君子は周して比せず、小人は比して周せず。)
2-15 子曰,学而不思则罔,思而不学则殆,
(子曰わく、学んで思わざれば即ち罔(くら)し。思うて学ばざれば即ち殆(あや)うし。) 
 
 おんこ‐ちしん【温故知新】ヲン‥
[論語為政「温故而知新、可以為師矣」](古い事柄も新しい物事もよく知っていて初めて人の師となるにふさわしい意) 昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。古きをたずねて新しきを知る。
 
 今日の子規歳時は、
 
 万歳は今も烏帽子そ都鳥 (1898年、明治31年1月12日)
 
 ここで、旧松山藩主久松定謨(こと)伯(久松元愛媛県知事の先考(亡父))の凱旋祝賀宴が明治29年1月東京芝紅葉館に開かれたとき、松山から沢田亀吉が招かれて伊予漫才を演じ、子規も席に列し見物したということです。そのときの句が、「沢亀の万歳見せうお国ぶり」です。
 
  
31 由我造出来的酸酒,当然应该由我自己来喝干。
Yóu wǒ zào chūlái de suān jiǔ, dāngrán yīnggāi yóu wǒ zìjǐ lái hē gàn.
(私によって造られた酸酒は、当然、私によって飲み干されなければなりません。)
  
32 经验的所得的结果无好坏,都要很大的牺牲,虽是小事情,也免不掉不掉要付惊人的代价。
Jīngyàn de suǒdé de jiéguǒ wú hǎo huài, dōu yào hěn dà de xīshēng, suī shì xiǎo shìqíng, yě miǎn bu diào bù diào yào fù jīngrén de dàijià.
 (経験がもたらす結果は、善かれ悪しかれ、みな大きな犠牲が払われており、たとえ些細な事柄でも、驚くほどの代価の支払いは免れない。)
  
 我们看历史,能够据过去以推知未来,看一个人的往的经历,也有一样的效用。
Wǒmen kàn lìshǐ, nénggòu jù guòqù yǐ tuīzhī wèilái, kàn yīgè rén de wǎng de jīnglì, yěyǒu yīyàng de xiàoyòng.
(歴史を眺めれば、過去によって未来を推し測ることができ、一個人のこれまでの経歴を眺めるのも、また同じ効用をもっています。现在,过去,未来
  
 无论爱什么,---饭,异性,国,民族,人类等等,---只有纠缠如毒蛇,执着如怨鬼,二六时中,没有巳时者有望。
Wúlùn ài shénme,---fàn, yìxìng, guó, mínzú, rénlèi děng děng,---zhǐyǒu jiūchán rú dúshé, zhízhuó rú yuàn guǐ, èrliù shí zhōng, méiyǒu sìshí zhě yǒuwàng.
(なにを愛するにせよ――飯、異性、国、民族、人類などなど――毒蛇のようにまとわりつき、怨霊のように執着し、四六時中、止むことなく愛し続ける者は、望みはある。)
  
35 危险? 危险令人紧张,紧张令人觉到自己生命的力。在危险中漫游,是很好的。
ixiǎn? Wéixiǎn lìng rén jǐnzhāng, jǐnzhāng lìng rén jué dào zìjǐ shēngmìng de lì. Zài wéixiǎn zhōng mànyóu, shì hěn hǎo de.
(危険?危険は人を緊張させ、緊張はわが生命の力を実感させる。危険のなかの漫遊は、なかなか乙なものだ。)