6月1日、新しい月がはじまります

 昨日の午後の新幹線で長男一家が帰って行きました。二人の孫は最後まで笑顔でした。女房とふたり家に帰って、しばし呆然としていました。ビールを飲んで、焼酎を飲み、残り物を食べて寝てしまいました。
 今日から6月です。朝一番で、小説「青葉繁るころ」(28枚)を書き上げ、北狄の編集長へ投稿しました。これで、あと二週間余り、本願寺の全集の第一巻の校正の仕事に全力をあげるつもりです。

 さて、今日の子規歳時は、
 淀川の大三日月や時鳥 (1892年、明治27年6月1日)
 子規が作詩法を習ったのは土屋久明でした。十二歳の夏のことで、毎日五言絶句を一首ずつ作って教えを受けたそうです。処女作は「聞子規」と題し、
 一声孤月下 啼血不堪聞 半夜空欹枕 古郷万里雲

 今日の魯迅箴言は、箴言89です。
 孩子长大,倘无才能,可寻点小事情过活,
  万不可去做空头文学家或美术家。
  Háizi zhǎng dà, tǎng wú cáinéng, kě xún diǎn xiǎo shìqíng guòhuó,
  wàn bùkě qù zuò kōngtóu wénxué jiā huò měishù jiā.
「子どもが成長しても才能がないようなら、小さな仕事を探して活きるとよい。万が一にも、中味のない文学家や美術家になってはならない。」
 探す;寻 xun 職業;事情 shiqing 生活する;过话 guohua 
  中味のない;空头 kongtou 文学家;文学家 wenxuejia 美術家;美术家 meishujia
 私の四人の子は、幸いなことに成長しても才能がなく、いずれも小さな仕事についていまる。したがって、文学家にも美術家にもなることはないようです。三人の孫もおそらくそうでしょう。

 今日の論語は、論語7-11(論語巻第四 述而第七篇 11章)です。
 子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之、如不可求、從吾所好、
 Zǐ yuē, fù ér kě qiú yě, suī zhí biān zhī shì, wú yì wèi zhī, rú bùkě qiú, cóng wú suǒ hào,
「子曰わく、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖ども、吾れ亦たこれを為さん、如(も)し求むべからずんば、吾が求むべからずんば、吾が好む所に従わん。」(孔子は言われた。「富というものが追求してよいのなら、鞭をとる市場の監督のような賤しい役目でもわたしはつとめようが、もし追求すべきでないのなら、わたしの好きな生活に向かおうと思う。」と。)(子曰,富而可求也,虽執鞭之士,吾亦为之,如不可求,从吾所好,)