6月5日、いい天気になりました

 もう6月5日になってしまいました。1日、家に籠っていても、なかなか仕事が前に進みません。あすは、「鷗外の後北游日乗にみる青森」の原稿作り、川柳の宿題の句作です。終われば、日本宗教史の校正作業です。

 今日の子規歳時は、
 露あかしいちこ畑の山かづら (1895年、明治28年6月5日)
 虚子と碧梧桐は子規の病床に侍して何くれと看護に当たっていました。ちょうどイチゴの季節で、子規の望むままに、毎朝日の出前に神戸病院の上の畑へイチゴを摘みにゆくのが二人の愛弟子の日課であったそうです。

 今日の魯迅箴言は、箴言93です。
 纵令不过一洼浅水,也可以学学大海;
  横竖都是水,可以相通。
  Zònglìng bùguò yī wā qiǎnshuǐ, yě kěyǐ xué xué dàhǎi;
  héngshù dōu shì shuǐ, kěyǐ xiāngtōng。
「たとえ浅い水たまりにすぎずとも、大海を学ぶことはできる。いずれにせよ、どちらも水だから、あい通じるはずだ。」
 たとえ;纵令 zongling 浅い水たまり;一洼浅水 yiwaqianshu 大海;大海 dahai
 いずれにせよ;横竖 henshu 相通じる;相通 xiangtong

  今日の論語は、論語7-15(論語巻第四 述而第七篇 15章)です。
 子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、樂亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲
 Zǐ yuē, fàn shū shí yǐnshuǐ, qū gōng ér zhěn zhī, lè yì zài qízhōng yǐ,
 bùyì ér fù qiě guì, yú wǒ rú fúyún,
「子曰わく、疏食を飯(くら)い水を飲み、肱を曲げてこを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し。」(孔子がいわれた。「粗末な飯をたべて水を飲み、うでをまげてそれを枕にする。楽しみはやはりそこにもあるものだ。道ならぬことで金持ちになり身分が高くなるのは、わたくしにとっては浮き雲のように、実のない無縁なものだ。」と。)(子曰,饭疏食饮水,曲肱而枕之,乐亦在其中矣,不义而富且贵,於我如浮云,)