6月6日、土曜日です。

 6月6日、夫婦そろって風邪を引いたようです。4日まで、校正の仕事に集中し、昨日は1日かけて、今日のレポートの準備をしました。あまり眠っていないせいか、夜になって、頭が重く、咳がとまりません。どうやら先にひいていた女房の風邪がうつったようです。
 今朝は奏海の会でした。選挙の最終日でしたが、「森鷗外の後北游日乗にみる青森」と題して、1時間弱話しました。初めてパワーポイントを使ってみました。何とかうまくいきました。何事もやってみればうまくいくものです。午後からは、川柳の句会です。このところ忙しくしてましたので、宿題をやっていませんでした。いきあたりばっかりでしたが、午前中の報告が何とかうまくいったので、句会にも参加することにしました。全没も覚悟しましたが、4句呼名されました。でも、もっと事前に句を作り、推敲が大事だと思い知らされました。まだまだです。懇親会に参加しようか迷いましたが、校正の仕事が残っているので、後ろ髪をひかれる思いでしたが、とにかくまっすぐ帰りました。句会の選句までの待ち時間を利用して、北狄の初校を行いました。
 家に帰って校正の仕事にとりかかろうとしたら、宗教史関係のメモファイルが保存されていませんでした。3日分のファイルがパーでした。パワーポイント使用のため、念のため2台のPCを持って行ったのが災いしたのでしょう。ファイルが更新されないままシャットダウンされたために、消去されてしまったのでした。そんなこんなで、落ち込むと同時に、風邪の症状がだんだんに重くなってきました。咳の具合が重症です。女房は早めに寝てしまいました。寝室から咳き込む声をきくと、こっちも寒気がしてきます。どうやら10年ぶりくらいの風邪のようです。

 今日の子規歳時は、
 蚊をたたくいそがはしさよ写し物 (1893年、明治26年6月6日)
 少年時代の子規は資本をむさぼり読んだようです。湊町の大和屋書店から借りたのでした。5冊一昼夜が5厘で、1日のうちなら何度とりかえても5厘でした。水滸伝八犬伝など、名文があると丹念に筆写もしていたようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言94です。
 青年又何须寻那挂着金字招牌的导师呢?
  不如导朋友,联合起来,同向着以乎可以生存的方向走。
  你们所多的是生力,
  遇见深林,可以辟成平地的,
  遇见旷野,可以栽种木的,
  遇见沙漠,可以开掘井泉的。
  Qīngnián yòu héxū xún nà guàzhe jīnzì zhāopái de dǎoshī ne?
  Bùrú dǎo péngyǒu, liánhé qǐlái, tóng xiàngzhe yǐ hū kěyǐ shēngcún de
  fāngxiàng zǒu. Nǐmen suǒ duō de shì shēng lì,
  yùjiàn shēnlín, kěyǐ pì chéng píngdì de,
  yùjiàn kuàngyě, kěyǐ zāizhòng mù de,
  yùjiàn shāmò, kěyǐ kāijué jǐng quán de.
「青年が金文字の看板を首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか?朋友を探して団結し、生きていけそうな方向へと共に歩み出すほうがいい。君たちは活きる力に溢れていて、森林に遭遇すれば平地を切り開き、荒野に遭遇すれば樹木を植え、砂漠に遭遇すれば井戸を掘ることができるのだから。」
   金文字;金字 jinzi 看板;招牌 zhaopai 指導者;导师 daoshi 探す;寻 xun 
   団結;联合 lianhe 生存;生存 shengcun 方向;方向 feengxiang 
   生きる力;生力 shengli 遭遇;遇见 yujian 森林;深林 shenlin 
   切り開く;辟成 bicheng 平地;平地 pingdi 荒野;旷野 kuangmo 
   樹木;树木shumo 砂漠;沙漠 shumo 掘削;开掘 kaijue  井戸;井泉 jingquan

 今日の論語は、論語7-16(巻第四 述而第七篇 16章)です。
 子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣、
 Zǐ yuē, jiā wǒ shù nián, wǔshí yǐ xué yì, kěyǐ wú dàguò yǐ,
「子曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、大なる過ち無かるべし。」(孔子がいわれた。「私がもう数年たって、五十になってから学んだとしても、やはり大きな過ちなしにゆけるだろう。」と。)(子曰,加我数年,五十以学易,可以无大过矣,)