今日は、投票以外、家でずうっと校正の仕事です。

 明日8日は定期健診の日です。今日7日は高校の野球部の定期戦とそのあとの懇親会の予定でしたが、周りに風邪をうつしていけないのと、何より体調がすぐれないために、それに校正の締切があと12日と迫っていることもあり、宗教史にてこずっているので、とにかくメドをつけようと、三四郎の会長に電話してキャンセルさせてもらいました。これで、この一週間、すなわち、長男一家がNYへ戻ってから、節食と禁酒をしています。まさに温良恭倹譲の生活を続けています。一応、5時の段階で、宗教史の校正が終わったので、あとは親鸞歎異抄の解説書の校正に入ったところで、投票へでかけました。投票率が低いのか浪館小は閑散としていました。二人しか候補者がいないのに、投票はペンタイプの○印押しです。やはり、ちゃんと名前を書かせるべきではないでしょうか。選挙の結果は、9時に現職の四選が報じられました。残念です。
 明日からは、残り10日間、本当に校正に集中するつもりです。宗教史に関してあらためて日本の歴史についても認識を深めることができました。感謝の気持です。第1巻の3冊目は解説本なので読みやすいのと、宗教・哲学・文学についても校正しながら勉強ができるので助かります。65歳にもなって、こんなに勉強できるなんて、本当に幸せです。

 今日の子規歳時は、
 夏痩や枕にいたきものの本 (1895年、明治28年6月7日)
 子規は貧しい中からも本はよく買って読んだようです。浅草の朝倉屋から俳書をたくさん買い込んで小僧を連れて帰り、「本代を払ってくれ」といって金が足りずに、母堂や妹を当惑させたこともあったようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言95です。
 第一次吃螃蟹的人是很可佩服的,
 不是勇士谁敢去吃它呢?
 螃蟹有人吃,蜘蛛一定也有人吃过,
 不过不好吃,所以后人不吃了。
 像这种人我们当极端感谢的。
   Dì yī cì chī pángxiè de rén shì hěn kě pèifú de,
 bùshì yǒngshì shuí gǎn qù chī tā ne?
 Pángxiè yǒurén chī, zhīzhū yīdìng yěyǒu rén chīguò,
 bùguò bu hào chī, suǒyǐ hòu rén bù chīle.
 Xiàng zhè zhǒng rén wǒmen dāng jíduān gǎnxiè de.
「初めて蟹を食べた人には、まったく感服するものだ。勇者でなくて誰が、あんなものをあえて食べるだろうか。蟹を食べた人がいれば、蜘蛛を試した人もいたはずである。しかし、不味かったために、後の人は食べなかったのだ。このような人たちに、我々は大いに感謝すべきであろう。」
 蟹;螃蟹 pangxie 感服;佩服 peifu 勇者;勇士 yongshi 蜘蛛;蜘蛛zhizhu 
  極端;极端 jiduan 感謝;感谢 ganxie

 今日の論語は、論語7-17(論語巻第四 述而第七篇 17章)です。
 子所雅言、詩書執禮、皆雅言也、
 Zi suǒ yǎ yán, shīshū zhí lǐ, jiē yǎ yán yě,
「子雅言する所は、詩、書、執礼、皆な雅言す。」(孔子が正しい言語を守られるのは、詩経書経を読むときと礼を行うときとで、みな正しい言語をつかわれた。)(子所雅言,诗书执礼,皆雅言也,)