6月21日、日曜日です。

 昨夜、エヴィエから戻ってきて、次回(7月11日)の「京都美食の旅の会」の集まりに女房も誘いました。京都から去年世話になった友人H君が来るのでその歓迎会をやるので一緒に参加するのです。H君は女房と中学が同じなので、どんな会合になるかいまから三週間後が楽しみです。
 昨日はまた、夜の会合を控えていましたが、朝8時に家を出発し、日中友好協会の中国帰国子女の人たちとの交流バス旅行へ参加しました。十和田湖遊覧と奥入瀬渓流散策で6千歩もあるいたのですが、風邪が長引いたのと校正の仕事で缶詰めになっていたため、体力が落ちていると思いましたが、腰痛はあいかわらずでしたが、途中立ち止まることもなく、思いがけずに元気でバス旅行を楽しむことができました。
 6月下旬に入った最初の土曜日であり、すがすがしい空気がいっぱいの緑鮮やかな八甲田と十和田湖なのに、どこも人気は少なく、さみしいかぎりでした。渓流でも十和田湖でも、私たちの団体のほかに、行きかう人は日本人より中国人(台湾からの観光客もいました)が多いのでした。遊覧船のガイドの放送も中国語もあったのには、驚いたのでした。もっともっと観光地ホテル、みやげ物売店、食堂レストランはもちろん、行政も県民も台湾も含め中国と中国人を大切にすべきではないかと思いました。湖上めぐりの遊覧船を降りたとき、にわか雨が振ってきましたが、雨があがるといっそう緑は輝きを増し、万緑のなかで心まで洗われたようでした。
 5人の友人たちによるエヴィエでのフレンチ会食も65歳の老人とは思えないほど闊達でしかも話題豊富で、あっという間の3時間でした。
 そんなこんなで、気分健やかに昨夜は眠り、今日はゆったりと安息日にきめました。

 今日の子規歳時は、
 短夜や砂土手いそぐ小提灯 (1892年、明治25年6月21日)
 漱石の英国留学を子規が新聞で知ったのは、明治33年6月のことでした。20日漱石に手紙を書きながら、漱石が帰朝するまでは生きていられまいと子規は考えていたようです。「年を経て君し帰らば山陰のわがおくつきに草むしをらん」。

 今日の魯迅箴言は、箴言109です。
 忘记是谁说的了,
 总之是,要极省检的画出一个人的特点,
 最好是画他的眼睛。
 我以为这话是极对的,
 惝若画了全副的头发,即使细得逼真,
 也毫无意思。
  Wàngjì shì shuí shuō dele,
 zǒngzhī shì, yào jí shěng jiǎn de huà chū yīgè rén de tèdiǎn,
 zuì hǎo shì huà tā de yǎnjīng.
 Wǒ yǐwéi zhè huà shì jí duì de,
 chǎng ruò huàle quánfù de tóufǎ, jíshǐ xì dé bīzhēn,
 yě háo wú yìsi。
「誰が言ったのかは忘れてしまったけれど、つまり、極力筆を省いて一人の人間の特徴を描くには、彼の眼を描けばいい、と。これは的を射て妙である。頭髪のすべてを描いたところで、細かさは真に迫るにしても、まったく意味がないからだ。」
 倹約する;省检 shengjian 特徴;特点 tedian 眼;眼睛 yanjing 
 頭髪;头发 toufa そっくり;逼真 bizhen 意味;意思 yisi

 今日の論語は、論語7-31(論語巻第四 述而第七篇 31章)です。
 子與人歌而善、必使反之、而後和之、
 Zi yǔ rén gē ér shàn, bì shǐ fǎnzhī, érhòu hé zhī,
「子、人と歌いて善ければ、必らずこれを反(か)えさしめて、而して後にこれに和す。」(孔子は、人と一緒に歌われて、相手がうまければ、それをくりかえさせて、そのうえで合唱されたものである。)(子与人歌而善,必使反之,而后和之,)