6月20日、土曜日、十和田湖は昼ににわか雨

 6月20日となりました。校正が届いたと出版社の友人から連絡が入り、一安心しました。すこし、校正の素読のコツがわかったような気がしました。自分の原稿の校正のときにも役に立ちそうです。それにつけても、今回の仕事で、広辞苑を中心にインターネット検索も含め、実に1000項目以上について調べたことになります。大変勉強になりました。
 今日の子規歳時は、
 椎の舎の主病みたり五月雨 (1899年、明治32年6月20日)
 体が痛み身動きもできず、書くことも読むこともならず、「如何にして日を暮らすべきか」と気違いのような苦しみに号泣、「誰かこの苦を助けて呉れるものはあるまいか」と訴えたのは、6月19日、20日の「病牀六尺」でした。

 今日の魯迅箴言は、箴言108です。
 幻灭之来,
  多不在假中见真,
  而在真中假。
  Huànmiè zhī lái,
  duō bùzài jiǎ zhōng jiàn zhēn,
  ér zài zhēnzhōng jiǎ。
「幻滅するのは、多くの場合、仮(にせ)のなかに真(ほんもの)を見たときではなく、真のなかに仮を見たときである。」
 幻滅;环灭  huanmie

 今日の論語は、論語7-30(論語巻第四 述而第七篇 30章)です。
 陳司敗問、昭公知禮意乎、孔子對曰、知禮、孔子退、揖巫馬期而進之曰、吾聞、君子不黨、君子亦黨乎、君取於呉、爲同姓謂之呉孟子、君而知禮、孰不知禮、巫馬期以告、子曰、丘也幸、苟有過、人必知之、
 Chén sī bài wèn, zhāogōng zhīlǐ yì hū, kǒngzǐ duì yuē, zhīlǐ, kǒngzǐ tuì,
 yī wū mǎ qī ér jìn zhī yuē, wú wén, jūnzǐ bù dǎng, jūnzǐ yì dǎng hū,
 jūn qǔ yú wú, wèi tóngxìng wèi zhī wú mèngzǐ, jūn ér zhīlǐ, shú bùzhī lǐ,
 wū mǎ qí yǐ gào, zǐ yuē, qiū yě xìng, gǒu yǒuguò, rén bì zhīzhī,
 「陳の司敗問う、昭公は礼を知れるか。孔子対(こた)えて曰わく、礼を知れり。孔子退く。巫馬期(ふばき)を揖(ゆう)してこれを進めて曰わく、吾を聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取(めと)れり。同姓なるが為めにこれを呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。巫馬期、以て告(もう)す。子曰わく、丘(きゅう)や幸いなり、苟(いやし)くも過ちあれば、人必らずこれを知る。」(陳の国の司敗が「昭公は礼をわきまえておられましたか。」とたずねた。孔子は「礼をわきまえておられた。」と答えた。孔子が退出されると、司敗は巫馬期(ふばき)に会釈してから前に進ませていった、「わたしは君子は仲間びいきをしないと聞いていたが、君子でも仲間びいきをするのですか。殿様(昭公)は呉の国からめとられたが、同じ姓であるために夫人のことを呉孟子とよばれた。同じ姓の家からめとるのは礼で禁ぜられているのにそれを破ったから、呉姫というところを姫の姓をさけてごまかしたのだ。この殿様が礼をわきまえていたとすると、礼をわきまえてない人などおりましょうか。」巫馬期がお知らせすると、孔子はいわれた、「丘(このわたくし)はしあわせだ。もし過ちがあれば、人がきっと気づいてくれる。」と。)
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 wū mǎ qí yǐ gào, zǐ yuē, qiū yě xìng, gǒu yǒuguò, rén bì zhīzhī,
(陈司败问,昭公知礼乎,孔子对曰,知礼,孔子退,揖巫马期而进之曰,吾闻,君子不党,君子亦党乎,君取於呉,为同姓谓之呉孟子,君而知礼,孰不知礼,巫马期以告,子曰,丘也幸,苟有过,人必知之。)