6月22日、月曜日です。

 昨日は一日、十分休養をとりました。ソーセージと黒ビールも飲むことができました。今日は日課が終わり次第、新町の事務所へ出かけたいと思います。

 今日の子規歳時は、
 伸び切って夏至に逢ふたる葵かな (1896年、明治29年6月22日)
 中村不折が洋行したのは、漱石が英国へ行った翌明治34年6月でした。陸羯南の主催で子規のまくらべに送別会が催されました。子規は「墨汁一滴」に五日間にわたり不折のことを書いています。

 今日の魯迅箴言は、箴言110です。
 「急不择言」的病源,并不在没有想的工夫,而在有工夫的时候没有想。
 `Jí bù zé yán'de bìngyuán,
 bìng bùzài méiyǒu xiǎng de gōngfū,
 ér zài yǒu gōngfū de shíhòu méiyǒu xiǎng.
「急いては言葉を選ばない」ことの病源は、考える暇がないからではなく、暇があっても考えないことにあるのだ。」
 急いては言葉を選ばない;急不择言 jibuzeyan 病原・病源;病源 bingyuan 
  考える;想 xiang 暇;工夫 gongfu

 今日の論語は、論語7-32(論語巻第四 述而第七篇 32章)です。
 子曰、文莫吾猶人也、躬行君子、則吾未之有得也、
 Zǐ yuē, wén mò wú yóu rén yě, gōngxíng jūnzǐ, zé wú wèi zhī yǒu dé yě,
「子曰わく、文は吾れ猶お人のごとくなること莫からんや。躬(み)、君子を行うことは、則ち吾れ未だこれを得ること有らざるなり。」(孔子がいわれた。「勤勉ということではわたしも人なみだが、君子としての実践では、わたしはまだ十分とはいかないのだ。」と。)(子曰,文莫吾犹人也,躬行君子,则吾未之有得也,)