7月29日、飛行機夕方から夜の便満席につき予定変更

 7月29日、東京はやはり暑かったです。夕方か夜の便のチケットを買おうと羽田へ新宿のホテルを9時半にでました。午後1時に歌舞伎座の地下でマキさんと会う約束にしていました。10時半に空港へ着き、なので、5時か7時の便のチケットを買おうと思ったのですが、3時、5時、7時の便はいずれも満席とのこと、もう一泊しようかと思いましたが、明日の便も午前中は満席とのことで、結局、残席僅かの午後1時の便で戻ることにして歌舞伎座で会う約束をキャンセルしてもらいました。マキさんと会いたいのと、新しい歌舞伎座を見たかったのですが、30日には夕方の予定もあり、已むを得ませんでした。夜の最終便がとれれば、東京暮らしをしているタクさんとも会いたかったのですが、昨日の夕方から今日の朝まで、東京の暑さには閉口させられました。
 昨日は午後からだけで、8千歩も歩きました。空港から、モノレール、京浜東北線、新橋から銀座線、赤坂見附から丸の内線、新宿三丁目から副都心線、最後に東新宿で降りて、ホテルのある歌舞伎町まで歩いて、ホテルにチェックインし、すぐにホテルを出て東新宿駅まで歩き、そこから副都心線に乗り、新宿三丁目新宿線に乗り換えて曙橋で降りるところまでは順調だったのです。て、出口を間違えて場所がわからず立ち往生し、道の反対側に出たのを知り、そこから坂を上ってようやく資料情報室へたどり着いたのでした。暑さと足腰の疲れでヘトヘト状態でした。
 約2時間で役員会は終わりましたが、帰りは同じ役員の二人の人と新宿三丁目で別れ、一人で副都心線に乗り換えて、東新宿から歌舞伎町2丁目のホテルを目の前にしたのは9時少し前でした。途中、腹はすいているし、喉はからから、脱水状態でフラフラでした。駅近くの店はどこもいっぱいに外から見えました。ホテルまで来ると、そのすぐ向かいに焼肉、ホルモン専門の飲食店の灯りが目に入りました。ここまで来れば、あとは這ってでもホテルに着けると思い、韓国系と思われる店の暖簾をくぐりました。とりあえず生ビールを頼み、おしぼりで顔の汗を拭いてから、ホルモンとカルビを注文しました。もう一杯生ビールを飲もうかと思ってメニュウを見ると90分飲み放題で1980円とあります。最初の一杯から飲み放題にしてもらえるかと若者の店員に聞くと、大丈夫とのことで、飲み放題にしてしまいました。4杯飲めば元がとれる勘定です。
 その炭火の焼肉屋に80分居て、生ビールを2杯、次にレモンサワーを2杯、調子がついて、もっこりのカシス割2杯、最後にたて続けにハイボールまで2杯も飲み、単品で頼めばゆうに4千円は超えたと思うくらいに飲んだのでした。やわらかくてジューシーなホルモンを2人前、6種類のタレがついたカルビとハラミを1人前ずつ食べて6千円を払い、おつりを3百円ほどもらって、満足して店を出たのでした。
 10メートルもない向かいのホテルのフロントによろよろした足取りを気づかれまいと、なんとかとりつくろってエレベーターに乗り込み、3階の部屋に入ったのでした。服を脱ぎ、ベッドに大の字になって眠ったのでしたが、夜中、ものすごい吐き気に襲われました。便器の中にホルモンとアルコールが吐き出てしまいました。落ち着いたので、ベッドに戻ろうとするともう一度吐き気に襲われてしまいました。結局、二度目の嘔吐で焼肉屋で口にしたものを全部吐き出してしまったのです。残ったのは胃で吸収されたアルコールだけでした。朝7時に起きましたが、不思議に少し酔いが残っているようでしたが、体調は悪くないのでした。
 正直言って、9時半にホテルを出て、すぐにびっくりさせられました。東新宿駅をめざし角を曲がったところの歩道に人が仰向けに倒れていたのです。病気か、酔っ払いか、事件か、はっきりしませんでしたが、浮浪者ではない、靴をはき、黒のスラックスに白のワイシャツの中年の男でした。場所が場所だけに、その男がなんとなく普通のサラリーマンのようには見えなかったのです。前を歩いていた人も、関わり合いになりたくなかったようで、先に反対側の歩道へ車道を横切ったのでした。他の通行人や、通りがかりの車、近くに停車中の建設作業員たちも、ビルの管理人もみな、見て見ぬふりです。青森では考えられませんし、さすが東京は、新宿の歌舞伎町です。
 倒れていた人をそのままにして、脇目もふらずに大通りにでて、前日の往きと今度の復りは逆の道順で空港まで向かったのですが、歩道、地下道、電車のなか、いずこも、人間の多さに感心させられ、むし暑さにあきれてしまったのも事実でした。仮に3時25分発の便がとれても、またモノレールと電車や地下鉄に乗って、1時に歌舞伎座の地下でマキさんに会うまでの2時間半のことを考えると大変な気がしたのも事実でした。子どもたちでいっぱいの上野動物園に行く気力はなくなっていました。そんなわけで、満席をいいことに1時15分の便のチケットを発券していました。

 今日の子規歳時は、
 君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く (1897年、明治30年7月29日)
  後年日本海に勇名をはせた秋山真之が、明治30年の夏、米国へ行くことになったのでした。それを聞いた子規は感慨無量だったそうです。それは、子規は長く病床にあって、外遊など今は全く望みない身であったからでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言17(旧箴言集の38に同じ)です。
 人必有所缺,这才想起他所需。
  Rén bì yǒu suǒ quē, zhè cái xiǎngqǐ tā suǒ xū.
「人には必ず欠けたところがあり、それによってはじめて、何が必要か思いいたるものだ。」
 欠けたところ;所缺 suoque 今はじめて;这才 zhecai 思いいたる;想起 xiangqi  
  必要な何か;他所需 tasuoxu

 今日の論語一日一章は、論語9-11(論語巻第五 子罕第九篇 11章)です。
 顔淵喟然歎曰、仰之彌高、鑚之彌堅、瞻之在前、忽焉在後、夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮、欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲從之、末由也已、
 Yán yuān kuìrán tàn yuē, yǎng zhī mí gāo, zuàn zhī mí jiān, zhān zhī zài qián,
 hū yān zài hòu, fūzǐ xún xún rán shàn yòu rén, bó wǒ yǐ wén,
 yuē wǒ yǐ lǐ, yùbàbùnéng, jì jié wú cái, rú yǒu suǒ lì zhuó'ěr,
 suī yù cóng zhī, mò yóu yě yǐ,
「顔淵、喟然として歎じて曰わく、これを仰げば弥弥(いよいよ)高く、これを鑚(き)れば弥弥堅し。これを瞻るに前に在れば、忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在り。夫子、循循然として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我れを約するに礼を以てす。罷(や)まんと欲するも能(あた)わず。既に吾が才を竭(つ)くす。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すると雖ども、由なきのみ。」
(顔淵がああと感歎していった、「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、きりこめばきりこむほどいよいよ堅い。前方に認められたかと思うと、ふいにまたうしろにある。うちの先生(孔子)は、順序よくたくみに人を導かれ、書物でもわたくしを広め、礼でわたくしをひきしめて下さる。やめようと思ってもやめられず、もはやわたしの才能を出しつくしているのだが、まるで足場があって高々と立たれているかのようで、ついてゆきたいと思っても手だてがないのだ。」と。)(颜渊喟然歎曰,仰之弥高,鑚之弥坚,瞻之在前,忽焉在后,夫子循循然善诱人,博我以文,约我以礼,欲罢不能,既竭吾才,如有所立卓尔,虽欲从之,末由也已,)