7月30日、今日は守る会の総会です。

 7月30日、今日と明日で7月も終わりです。今日は5時半から憲法を守る会の総会で、そのあとビアガーデンで懇親会です。今日は、東奥柳壇の締切でしたので、午前中に2句つくり、葉書を投函してきました。7月に続き、選ばれるといいのですが。7月の佳作句は「父の日の宅急便を待っている」でした。おまけで選んでいただいたのでしょう。まだまだです。

 今日の子規歳時は、
 形代に卯の年男とぞ書ける (1896年、明治29年7月30日)
 秋山真之は子規と小学校時代からの親友で、上京後大学予備門でも同級で常に往来し、神田の下宿に同宿したこともあったのです。のちに秋山は海軍兵学校に転じました。子規は真之のことを「剛友」と称しています。
 かた‐しろ【形代】
①神を祭る時、神霊の代りとして据えたもの。増鏡「むつきの中の御有様はただ―などをいはひたらんやうにて」
陰陽師が、みそぎ・祓(ハラエ)などに用いた紙の人形(ヒトガタ)。これで身体を撫でて災いを移し、川に流した。ひとがた。なでもの。あがもの。俑。源東屋「見し人の―ならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせむ」

 今日の魯迅箴言365日は、箴言18です。
 在对于真的造谣,
 毫不为怪的社会里,
 对于真的收贿,
 也就毫不为怪。
 如果收贿会制裁的社会,
 也就要制裁妄造收贿的谣言的人们。
 Zài duìyú zhēn de zàoyáo, háo bù wéi guài de shèhuì lǐ,
 duìyú zhēn de shōu huì, yě jiù háo bù wéi guài.
. Rúguǒ shōu huì huì zhìcái de shèhuì,
 yě jiù yào zhìcái wàng zào de yaoyan shōu huì de rénmen.
「本当の噂をながすことについては、少しも社会の責任を問われることはないし、正しいことをして報酬を受け取ることの、何ら罪にはならない。収賄が社会の制裁を受けるのならば、収賄をねつ造してデマを飛ばす人たちもまた制裁が加えられる必要がある。」
 対して;对于 duiyu 本物; 真的 zhende  デマをとばす;造谣 zaoyao 
  すこしもない;毫不 haobu 咎められる;为怪 weiguai 社会的に;社会里 shehuili    しかるに;如果 ruguo 収賄;收贿 shouhui 制裁;制裁 zhicai 
  ねつ造する;妄造 wangzao デマ;谣言 yaoyan 人間たち;人们 renmen

 今日の論語一日一章は、論語9-12(論語巻第五 子罕第九篇 12章)です。
 子疾病、子路使門人爲臣、病閒曰、久矣哉、由之行詐也、無臣而爲有臣、吾誰欺、欺天乎、且予與其死於臣之手也、無事死於臣之手乎、且予縦不得大葬、予死於道路乎、
 Zi jíbìng, zilù shǐ ménrén wèi chén, bìng xián yuē, jiǔ yǐ zāi, 
  yóu zhī xíng zhà yě, wú chén ér wèi yǒu chén, wú shuí qī, qī tiān hū,  
  qiě yǔ yǔqí sǐ yú chén zhī shǒu yě, wúshì sǐ yú chén zhī shǒu hū,  
  qiě yǔ zòng bùdé dà zàng, yǔ sǐ yú dàolù hū,
「子の疾、病(へい)なり。子路、門人をして臣たらしむ。病、閒(かん)なるときに曰わく、久しいかな、由の詐(いつわ)りを行うや。臣なくして臣ありと為す。吾れ誰れをか欺かん。天を欺かんか。且つ予(わ)れ其の臣の手に死なんよりは、無寧(むしろ)二三子の手に死なんか。且つ予れ縦(たと)い大葬を得ずとも、予れ道路に死なん。」孔子の病気が重かったので、子路は門人たちを家来にしたてて、最後を立派に飾ろうとした。病気が少しよくなったときにいわれた、「永いことだね、由のでたらめをしていることは。家来もいないのに家来がいるようなまねをして、わたしは誰をだますのだ。天をだますのか。それにわしは、家来などの手で死ぬよりは、むしろお前たちの手で死にたいものだね。それにわしは、立派な葬式はしてもらえないとしても、まさかこのわしが道ばたでのたれ死になどするものか。」と。)
(子疾病,子路使门人为臣,病閒曰,久矣哉,由之行诈也,无臣而为有臣,吾谁欺,欺天乎,且予与其死於臣之手也,无事死於二三子之手乎,且予纵不得大葬,予死於道路乎,)