8月4日、次男一家の短い夏休み

 8月4日、昨日の朝来た次男一家が、今日の午後の便で帰ることになりました。次男の仕事があるためで、孫も明日からの予定があるとかで、昨日は雲谷に遊びに行き、ねぶたを観て帰ってきました。丸一日半の短い夏休みで帰っていくのです。
 孫が早く帰るのを、残念がっているのは、家人です。でも、一人っ子の孫が成長していく姿を少しでも見ることができたのは、よしとしなければなりません。
 今日の夕方から、また家人と二人の生活が続きます。

 今日の子規歳時は、
 短夜をやがて追付参らせん (1897年、明治30年8月4日)
 久松定靖(旧藩主の若君)は子規より5歳か6歳年下でしたが、30年の夏、大磯で病死しています。「同じ病に臥す身のいとど悲に堪えず」両毛漫遊の昔などを思い出して、子規は追悼の句をささげ「十年前の旅」を書いています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言23(旧箴言集10に同じ)です。
 惝是狮子,
 自夸怎样肥大是不妨事的,
 但如果是一口猪或一匹羊,
 肥大倒不是好兆头。
(我不知道我们自己觉得现在好像是什么了?
 Chǎng shì shīzi,
  zìkuā zěnyàng féidà shì bùfáng shì de,
 dàn rúguǒ shì yīkǒu zhū huò yī pǐ yáng,
 féidà dào bùshì hǎo zhàotou.
( Wǒ bù zhīdào wǒmen zìjǐ juédé xiànzài hǎoxiàng shì )
「もしライオンなら、どんなに太ったかを誇るのをとめることはしないが、たが、豚や羊なら、太るのはむしろよくない兆候である。(我々はいま、自分たちがどちらに似ていると思っているのだろうか?)」
 ライオン;狮子 shizi 豚;猪 zhu 羊;羊 yang 誇る;夸 kua 
  肥える;肥大 feida 兆候;兆头 zhaotou

 今日の論語一日一章は、論語9-17(論語巻第五 子罕第九篇 17章)です。
 子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、
 Zi zài chuānshàng yuē, shì zhě rú sī fū, bù she zhòuyè,
「子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(や)めず。」
孔子が川のほとりでいわれた、「すぎゆくものはこの流れのようであろうか。昼も夜も休まない。」と。)
(子在川上曰,逝者如斯夫,不舍昼夜,