8月3日、朝の飛行機で次男一家がやってきます。

 今日は、朝に飛行機で次男一家がやってきます。小学校2年の孫は元気そのもののようです。リクエストは海ではなく、山で昆虫や蝶をとりたいとのことです。あとは夜のねぶたに跳ねるのだといっています。家では、ゲームをやらせてくれといっています。次男は仕事の都合で明日帰るということですが、孫が何日いるかは、彼の気分次第ということで、ねぶた期間中は気を離せません。

 今日の子規歳時は、
 夏服は若殿ぶりの馬上哉 (1898年、明治31年8月3日)
 旧藩主の若君久松定靖(久松元知事の叔父)のお供をして、子規が日光・伊香保へ五十余日の避暑旅行をしたのは明治19年の夏、子規にとって一生で一番のゼイタクな漫遊であったようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言22(これは旧箴言3に同じ)です。
 同是人类,
 本来决不至于能互相了解;
 但时代国土习惯成见,
 都能够遮蔽人的心思,
 所以往往不能镜一般明,
 照见别人的心了。
 Tóng shì rénlèi, běnlái jué bù zhìyú néng hùxiāng liǎojiě;
 dàn shídài guótǔ xíguàn chéngjiàn,
 dōu nénggòu zhēbì rén de xīnsī,
 suǒyǐ wǎngwǎng bùnéng jìng yībān míng, zhào jiàn bié ren de xīnle
「同じ人類なのだから、本来、お互いに理解しあえないはずはない。だが、時代や国土、慣習や先入観が、人の心を覆い隠すことによって、鏡に映るようにはっきりとは、他人の心が見えないことが多いのである。」
 人類;人类 renlei 本来;本来 benlai お互いに;互相 huxiang 
  理解する;了解 liaojie 時代;时代 shidai 国土;国土 guotu 
 慣習;习惯 xiguan 先入観;成见 chengjian 足りる;够 gou 遮蔽;遮蔽 zhebi 
 心のなか;心思 xinsi 鏡;镜 jing 見える;照见 zhaojian 他人;别人 bieren

 今日の論語は、論語9-16(論語巻第五 子罕第九篇 16章)です。
 子曰、出則事公卿、入則事父兄、喪事不敢不勉、不爲酒困、何有於我哉、
 Zǐ yuē, chū zé shì gōngqīng, rù zé shì fùxiōng, sāngshì bù gǎn bù miǎn,
 bù wèi jiǔ kùn, hé yǒu yú wǒ zāi,
「子曰わく、出でては則ち公卿(こうけい)に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢えて勉めずんばあらず。酒の困れを為さず。何か我れに有らんや。」
孔子がいわれた、「外では公や卿という身分の高い人々によくお仕えし、家では父や兄たちにもよくお仕えし、葬い事にはできるだけ勤め、酒のうえのでたらめはしない。それぐらいは、私にとっては何でもない」と。)
(子曰,出则事公卿,入则事父兄,丧是不敢不勉,不为酒困,何有於我哉,)