今日は、8月10日、月曜日です。朝晩、めっきり涼しくなりました。異変が起こっているようです。昨日も高山稲荷で感じましたが、蝉が鳴きません。夏の盛りに油蝉の声が聞こえないのは変です。
今日は、午後6時半から月曜会です。帆江さんのお話を聞きます。どんなお話しになるのか、いまから楽しみです。
今日の子規歳時は、
先へゆくつれよび戻す清水哉 (1893年、8月10日)
久万に一泊し翌日、岩屋寺に詣でたのち、一気に松山まで帰ったのですが、十四里を歩いた疲労と空腹で子規は再三にわたって歩けなくなり、友人たちを困らせたようです。そのときの「遊厳谷」その他の詩が残っています。
笑里可以藏刀,
自称酷爱和平的人民,
也会有杀人不见血的武器,
那就是造谣言。
Xiào lǐ kěyǐ cáng dāo,
zìchēng kù'ài hépíng de rénmín,
yě huì yǒu shārén bùjiàn xiě de wǔqì,
nà jiùshì zào yáoyán.
「笑いのなかには刀が隠されている。自称愛と平和が大好きな人民は、武器で血を流すことなく人を殺すことだってできる。つまり、デマを飛ばすことだ。」
子曰、後生可畏也、焉知來者之不如今也、四十五十而無聞焉爲、斯亦不足畏也已矣、
Zǐ yuē, hòushēngkěwèi yě, yān zhī lái zhě zhī bù rújīn yě,
sìshíwǔshí ér wú wén yān wèi, sī yì bùzú wèi yě yǐ yǐ,
「子曰わく、後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。」
(孔子がいわれた、「青年は恐るべきだ。これからの人が今の自分に及ばないなどと、どうして分かるものか。ただ四十五十の年になっても評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもないものだよ。」と。)
(子曰,后生可畏也,焉知来者之不如今也,四十五十而无闻焉为,斯亦不足畏也已矣,)