8月11日、火曜日です。

 8月11日、火曜日の朝を迎えました。昨夜は、月曜会のあと、成田先生と蓮華寺そばの日本酒専門の店へ行きました。山形や秋田五城目の酒のほかに山口の萩の酒や子規ゆかりの獺祭を飲んできました。懐かしい新政は来月入荷とのことでした。秋にもう一度、行きたいと思います。
 今日は、大間地主の会の総会とお隣のおばあさんの通夜が重なってしまいましたが、川内原発の再稼働もあり、大間原発の今後のことももあり、葬儀のほうは家人に行ってもらうことにします。

 今日の子規歳時は、
 青簾捲けよ雲見ん岩屋寺 (1895年、明治28年8月11日)
 明治23年8月、藤野古白ほか二人とともに、子規は十年ぶりで再度久万山に遊んでいます。この時は、土佐街道の新道が開通していました。二日目は道に迷って竹谷に一泊し、岩屋寺に詣でて帰ったのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言31です。
 中国是古国,历史长了,
 花样也多,情形复杂,做人也特别难,
 我觉得别的国度里,处世法总还要简单,
 所以每个人可以有工夫做些事,
 在中国,则单是为生活,就要化去生命的儿乎全部。
 Zhōngguó shì gǔguó, lìshǐ zhǎngle,
 huāyàng yě duō, qíngxíng fùzá, zuòrén yě tèbié nán,
 wǒ juédé bié de guódù lǐ, chǔshì fǎ zǒng hái yào jiǎndān,
 suǒyǐ měi gèrén kěyǐ yǒu gōngfū zuò xiēshì,
 zài zhōngguó, zé dān shì wéi shēnghuó, jiù yào huà qù shēngmìng de er hū quánbù.
「中国は古い国であり、歴史も長大で、色彩が鮮やかであり、しかも景観も複雑にできていて、人生をおくるのはとても困難なのだ。他国に住んでみると、いかにこの世を生きるのが容易であるか、よくわかるのだ。だから、中国にいると、生命を維持し、生活をしていくには、どの人もちょっとした工夫が必要になる。」

 今日の論語一日一章は、論語9-24(論語巻第五 子罕第九篇 24章)です。
 子曰、法語之言、能無從乎、改之爲貴、巽與之言、能無説乎、繹之爲貴、説而不繹、從而不改、吾末如之何也已矣、
 Zǐ yuē, fǎyǔ zhī yán, néng wúcóng hū, gǎi zhī wèi guì, xùn yǔ zhī yán,
 néng wú shuō hū, yì zhī wèi guì, shuō ér bù yì, cóng'ér bù gǎi,
 wú mò rú zhī hé yě yǐ yǐ
「子曰わく、法語の言は、能く従うこと無からんや。これを改むるを貴しと為す。巽与(そんよ)の言は、能く説(よろこ)ぶこと無からんや。これを繹ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めずんば、吾れこれを如何ともする末(な)きのみ。」
孔子がいわれた、「正しい、表立ったことばには、從わずにはおれない。だがそれで自分を改めることが大切だ。ものやわらかなことばには、嬉しがらずにはおれない。だがその真意をたずねることが大切だ。喜ぶだけでたずねず、従うだけで改めないのでは、わたしにはどうしようもないものだよ。」と。)
(子曰,法言之言,能无从乎,改之为贵,巽与之言,能无说乎,绎之为贵,说而不绎,从而不改,吾末如之也已yi,)