8月16日、日曜日です。

 今日は8月16日です。日曜日の夜中です。ウィンドウズ10をインストールしたPCの入力が13日の夜からできなくなり、四苦八苦しましたが、16日の未明に起きて、作業をした結果、ALT+SHIFT+NUMで入力ができるようになりました。実に2日半、悩みに悩んだ挙句、試行錯誤の繰り返しでようやく入力できるようになりました。これで、日課の作業も完璧に書斎でこなせるようになりました。気持ちがすっきりしました。

 今日の子規歳時は、
 雨雲の月をかすめし踊哉 (1899年、明治32年8月16日)
 「幼い時、祖母がヒキガエルをかわいがり、毎晩縁側で見ていたので、今もヒキガエルをゆかしく感じる。読書・労働・昼寝・飲酒、なんでも子供の時に親しく見聞したことは習慣となる」と子規は書いています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言36です。
 如才做了主人,
 是决不肯废去”老爷”称呼的,
 他的摆架子,
 恐怕比他的主人还十足、
 还可笑。
 Rú cái zuòle zhǔrén,
 shì jué bù kěn fèi qù” lǎoyé” chēnghu de,
 tā de bǎijiàzi,
 kǒngpà bǐ tā de zhǔrén  hái shízú,
 hái kěxiào.
「宦官のような男が主人になっても、けっして『旦那さま』と呼称するのをやめようとしないし、他人にはいばりくさり、ほかの主人とくらべて十分だろうかと心配ばかりしているのは、実におかしいものだ。」
 宦官;奴才 nucai 主人;主人 zhuren 旦那様;老爷 laoye 
  やめようとしない;不肯废 bukenfei 呼称する;称呼 chenghu 
  いばる;摆架子 baijiazi 心配する;恐怕 kongpa おかしい;可笑 kexiao

 今日の論語一日一章は、論語9-29(論語巻第五 子罕第九篇 29章)です。
 子曰、歳寒、然後知松栢之後彫也、
 Zǐ yuē, suì hán, ránhòu zhī sōng bǎi zhīhòu diāo yě,
「子曰、歳寒くして、然る後に松柏の彫(しぼ)むに後るることを知る。」
孔子がいわれた、「気候が寒くなってから、はじめて松や柏(ひのき)が散らないで残ることが分かる。(つまり、危難の時にはじめて真価がわかる。)」と。)
(子曰,岁寒,然后知松栢之后彫也,)