8月25日、今月もあと一週間となりました。

 8月25日、台風15号が九州へ上陸し、暴風雨となっていますが、青森はいまのところ風はすこし強いのですが、朝7時半には太陽ものぞき、なかなかいい天気なのでした。

 今日の子規歳時は、
 秋風や生きてあひ見る汝と我 (1895年、明治28年8月25日)
 明治28年8月、健康をようやく回復した子規は、20日須磨を立ち、広島で百目木瓢亭に会い、25日松山に帰りました。帰省は9回目で、そして最後となりました。このとき子規は漱石の下宿愚陀仏庵に滞在しました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言45(旧箴言集42)です。
 捣鬼有术,也有效,然而有限,
 所以以此成大事者,古来无有。
  Dǎoguǐ yǒu shù, yě yǒuxiào, rán'ér yǒuxiàn,
 suǒyǐ yǐ cǐ chéng dàshì zhě, gǔlái wú yǒu.
「ぺてんには術があり、効き目もあるが、限界もある。それゆえに、ぺてんで大事を成した者は、かつていないのだ。」
 ぺてん;捣鬼 daogui 技あり;有术 youshu 効き目;效 xiao 有限;有限 youxian  
  それゆえ;所以 suoyi これにより;以此 yici  大事を成す;成大事 chengdashi 
  かつていない;古来无有 gulaiwuyou

 今日の論語一日一章は、論語10-6(論語巻第五 郷黨第十篇 6章)です。
 君子不以紺緅飾、紅紫不以爲褻服、當暑縝絺綌、必表而出、緇衣羔裘、素衣麑裘、黄衣狐裘、褻裘長、短右袂、必有寝衣、長一身有半、狐貉之厚衣居、去喪無所不佩、非帷裳必殺之、羔裘玄冠不以弔、吉月必朝服而朝、
 Jūnzǐ bù yǐ gàn zōu shì, hóngzǐ bù yǐwèi xiè fú, dāng shǔ chēn chī xì,
 bì biǎo ér chū, zī yī gāo qiú, sù yī ní qiú, huáng yī hú qiú, xiè qiú zhǎng,
 duǎn yòu mèi, bì yǒu qǐn yī, zhǎng yīshēn yǒu bàn, hú háo zhī hòu yī jū,
 qù sàng wú suǒ bù pèi, fēi wéi shang bìshā zhī, gāo qiúxuánguān bù yǐ diào,
 jí yuè bì cháofú ér cháo,
(君子不衣绀緅饰,红紫不以为亵服,当暑縝絺绤,必表而出,缁衣羔裘,素衣麑裘,黄衣狐裘,亵裘长,短右袂,必有寝衣,长一身有半,狐貉之厚衣居,去丧无所不佩,非帷裳必杀之,羔裘玄冠不以弔,吉月必朝服而朝,)
「君子は紺緅(かんしゅう)を以て飾らず。紅紫は以て褻服と為さず。暑に当たりては縝(ひとえ)の絺綌(ちげき)、必らず表して出ず。緇衣には羔裘、素衣には麑裘。黄衣には狐裘。褻裘は長く、右の袂を短くす。必らず寝衣あり、長け一身有半。孤貉の厚き以て居る。喪を去いては佩びざる所なし。帷裳に非ざれば必らずこれを殺す。羔裘玄冠しては以て弔せず。吉月には必らず朝服して朝す。」
(君子は紺やとき色では襟や袖口のふちどりをしない。{紺色は潔斎(ものいみ)のとき、とき色は喪があけはじめたときにつける色だからである。} 紅と紫は{純粋な色でないから、礼服はもとより、}ふだん着につくらない。暑いときにはひとえの葛布であるが、必ず{肌がすいてみえないように}上っぱりをかけて外出する。{冬着では}黒い着物には小羊の黒い毛皮、白い着物には鹿の子の白い毛皮、黄色い着物には狐の黄色い毛皮{を下に着こむ}。ふだん着の皮ごろもは長くするが、右の袂は{仕事に便利なように}短くする。必らず寝巻を備えて、その長さは身のたけとさらに半分である。狐や貉の厚い毛皮をしいて坐る。{喪中は何も帯にさげないが、}喪があければ何でも腰にさげる。{喪服・朝服としての}帷裳でなければ、必らず{裳(スカート)の上部を}せまく縫いこむ。小羊の黒い皮ごろもと赤黒い絹の冠と{は、めでたい色だから、それ}ではお葬(弔)いにはいかない。朔日(ついたち)には必らず朝廷の礼服をつけて出仕する。)