8月26日未明、台風の影響で青森は風が強く吹いています。

 8月26日となりました。水曜日です。9月9日に三重県、10・11日に岡山県へ薪プロジェクトの先進地視察に行くことになりました。再生可能エネルギーの一環とした薪プロジェクトの勉強にいってくるのです。楽しみです。
 25日、高校の同級生のスペイン通の鈴木君から朝に電話があり、夜に会う約束をしました。25日は、日課を終え、昼にチラシ撒き行動に参加し、そのあとは川柳の教室でした。今年は皆勤賞をとる目的なので、いっこうに川柳に習熟しないため自分に腹立たしいことが多々ありますが、真面目に参加しています。
 川柳教室のあと、新町の事務所へ顔を出し、9日からの日程の確認と、三重県の赤目口の視察先の現況を確認しました。6時からは「憲法を守る県民の会」の62回目の学習会にでて、そのあと役員会にも出て、7時半に綺羅へ行き、鈴木君に会いました。
 51回目のスペイン行きを勧められましたが、26日改めて柴谷君にも同行を求めることにしました。柴谷君が同意するわけはないと思いましたが、一度はスペインに一緒に行こうという鈴木君の熱意にも動かされたのでした。
 朝、9時過ぎに柴谷君の家に行ってみましたが、彼はでかけていて不在でした。しかし、車中で鈴木君といろいろ話ができて、好かったのでした。

 今日の子規歳時は、
 桔梗活けてしばらく仮の書斎哉 (1895年、明治28年8月26日)
 漱石と子規が五十余日にわたり起居を共にした愚陀仏庵は、松山二番町八番戸上野家の離れ部屋で、戦災で焼けてしまっています。いまは、その跡に記念の標識が立っています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言46です。
 从生活窘迫过来的人,一到了有钱,
 容易变成两种情形;
 一种是理想世界,替处同一境遇的自己挣起来,
  便成为人道主义;
 从前的遭遇,使他觉得什么都是冷酷,
 便流为个人主义。
 Cóng shēnghuó jiǒngpò guòlái de rén, yī dàole yǒu qián,
 róngyì biàn chéng liǎng zhǒng qíngxíng;
 yī zhǒng shì lǐxiǎng shìjiè, tì chù tóngyī jìngyù de zìjǐ zhēng qǐlái,
  Biàn chéngwéi réndào zhǔyì;
 cóngqián de zāoyù, shǐ tā juédé shénme dōu shì lěngkù,
 biàn liú wèi gèrén zhǔyì.
「生活に行き詰っている人は、ちょっとお金が入りそうになると、簡単に二つのタイプにかわってしまう。自分で稼ぐのが理想の世界だとして人道主義に徹する人と、もう一方では以前の境遇があまりに冷酷だったとして、個人主義に流れるかのどちらかなのです。」
 生活;生活 shenghuo 窮迫;窘迫 jiongpo タイプ;情形 qingxing 
  理想;理想 lixiang 世界;世界 shijie 境遇;遭遇 zaoyu 冷酷;冷酷 lengku
 個人主義;个人主义 gerenzhuyi 人道主義;人道主义 rendaozhuyi

 今日の論語一日一章は、論語10-7(論語巻第五 郷党第十篇 7章)です。
 齊必有明衣布也、齊必變食、居必遷坐、
 Qí bì yǒumíng yī bù yě, qí bì biàn shí, jū bì qiān zuò,
「斉(ものいみ)すれば必らず明衣あり。布なり。斉すれば必らず食を変じ、居は必らず坐を遷す。」
(潔斎{ものいみ}には必らず{ゆあみのあとに着る}ゆかたを備え、それは麻布で作る。潔斎には必らずふだんとは食事を変え、住まいも必ずふだんとは場所を移す。)