8月24日、月曜日です。

 今日は8月24日、月曜日です。今日から夏休みも終わり、平常にもどります。今日は晴れています。スマフォも電池交換し、起動するようになりましたし、自転車もタイヤの空気を入れましたので、走りも快調でしょう。昨夜は十分に眠ったので、頭もすっきりしています。そんなわけで、今日は日課を終え次第、自転車で事務所へ出かけることにします。

 今日の子規歳時は、
 蜩や几を圧す椎の影 (1897年、明治30年8月24日)
 ここで、ひぐらし(蜩)、つくえ(几で)す。須磨の保養院で子規は日蓮記を読んで、「壮快措く能はず、覚えず手舞ひ足躍る」のを禁じ得ないまま、「日蓮」の一文を草しています。病気のため衰えようとした子規の意気は、これによってふるい起されたのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言44(旧箴言集11に同じ)です。
 勇者愤怒,抽刃向更强者;
 怯者愤怒,却抽刃下向更弱者。
 不可救药的民族中,一定有许多英雄,
 专向孩子们瞪眼。
 这些孱头们!
 Yǒngzhě fènnù, chōu rèn xiàng gèng qiáng zhě;
 qiè zhě fènnù, què chōu rèn xià xiàng gèng ruòzhě.
 Bùkě jiù yào de mínzú zhōng, yīdìng yǒu xǔduō yīngxióng,
 zhuān xiàng háizimen dèngyǎn.
 Zhèxiē càn tou men !
「勇者が怒れば、刃を抜いてより強い者に立ち向かう。臆病者が怒れば、刃を抜いてより弱い者に向ってゆく。救われぬ民族には、きまって少なからぬ英雄がいて、もっぱら子どもにのみ睨みを利かせる。この臆病者ども!」
 勇者;勇者 yongzhe 怒る;愤怒 fennu 刃を抜く;抽刃 chouren 
  強者;强者 qiangzhe 卑怯者;怯者 qiezhe 弱者;弱者 ruozhe 
  救済;救药 jiuyao 民族;民族 minzu きまって;一定 yiding 
  少なくない;许多 xuduo 英雄;英雄 yingxiong 専ら;专 zhuan 
  睨む;瞪眼 dengyan 臆病者;孱头 cantou

 今日の論語一日一章は、論語10-5(論語巻第五 郷黨第十篇 5章)です。
 執圭鞠躬如也、如不勝,上如揖、下如授、勃如戰色、足蹜蹜如有循也,享禮有容色、私覿愉愉如也、
 (Zhí guī jūgōng rú yě, rú bùshèng, shàng rú yī, xià rú shòu, bó rú zhàn sè,
  zú sù sù rú yǒu xún yě, xiǎng lǐ yǒu róngsè, sī dí yú yú rú yě,)
「圭を執れば、鞠躬如たり。勝(た)えざるが如し。上ぐることは揖(ゆう)するが如く、下すことは授くるが如く、勃如として戦色。足は蹜蹜如として循(したが)うこと有り。享礼には容色あり。私覿(してき)には愉愉如たり。」
(圭を持つときはおそれ慎んで、持ちきれないようにされた。上げるときも会釈をするぐらい、下げるときも物を授けるぐらいで、緊張しておののかんばかり。足どりはしずしずとすり足で規則正しくされた。贈り物をする亨の儀式になると、なごやかな顔つきになられ、主君の代理を終わって自分の私的な拝謁になると、たのしげにされた。)