9月3日、木曜日です。今日は一日、家で日課の残っている部分を書き加えています。
今日の子規歳時は、
雲めぐる岩の柱や秋の山 (1900年、明治33年9月3日)
明治24年の夏休みを終えて帰京の途、子規は広島に渡り、県書記官であった佃一予の招待をうけ、宮島を見物し、尾道・笠岡を経て岡山から小豆島へわたり、寒霞渓を見物しています。
卑怯的人,即使有万丈的愤火,除弱草以外,又能烧掉么甚呢?
Bēiqiè de rén, jíshǐ yǒu wànzhàng de fèn huǒ, chú ruò cǎo yǐwài,
yòu néng shāo diào me shen ne?
「卑怯な人間が、怒りで万丈の炎を燃えあがらせようとも、弱い民草のほかに、何を焼き払えるというのだろうか?」
卑怯;卑怯 beiqie 万丈;万丈 wanzhang 憤火;愤火 fenhuo 除草;除草 chucao
焼き払う;烧掉 shaodiao
侍食於君、君祭先飯、
Shì shí yú jūn, jūn jì xiān fàn,
(侍食於君,君祭先饭,)
「君に侍食するに、君祭れば先ず飯す。」
(主君と一緒に食事をするときは、主君が初取りのお祭りをされると、毒味の意味で先に先に召しあがられた。)