今日は9月6日、一年がかりでの講演会でした。佐々木英明とともに谷川俊太郎さんのアテンドをしました。とても疲れました。有名詩人はとても気さくでチャーミングな83歳のおじさんでした。子どもたちと大人が350人も王余魚沢の森に集結しました。
今日の子規歳時は、
萩茫来年逢んさりながら (1897年、明治30年9月6日)
明治30年の夏、熊本から上京していた漱石が9月6日帰京する日、子規はこの句を送ったのでした。親しい友と別れるとき、子規はいつも再会をねがうとともに、自分の重病を考えて不安な思いを抱いたようです。
教书一久,即与一般社会睽离,
无论怎样热心,做起事来总要失败。
假如一定要做,就得存学者的l良心,有市侩的手段,
但这类人才,怕教员中间是未必会有的。
Jiāoshū yījiǔ, jí yǔ yībān shèhuì kuí lí, wúlùn zěnyàng rèxīn, zuò qǐ shì lái zǒng yào shībài.
Jiǎrú yīdìng yào zuò, jiù dé cún xuézhě de l liángxīn, yǒu shìkuài de shǒuduàn,
dàn zhè lèi réncái, pà jiàoyuán zhōngjiān shì wèibì huì yǒu de.
「学校の教師を長くしていると、一般社会(常識)とはかけ離れて(食い違って)きます。たとえどんなに熱心であっても、仕事をするとまず失敗(すること)になります。もし、どうしても仕事をしたいなら、学者の良心をもって、商売人の手段(手だて)がなければなりません。ただし、こういった才能の(ある)人は、たぶん教員の中にはほとんどいないでしょう。」
入大廟、毎時問、
Rù dà miào, měishí wèn,
(入大廟,每时问,)
「大廟に入りて、事ごとに問う。」
(大廟の中では、儀礼を一つ一つたずねられた。)