9月13日、日曜日です。今日も忙しい一日でした。

 9月13日、日曜日。昨夜は、8時に寝ました。12日に一時間しか寝てないのと、大間往復と講堂に座っての集会とデモ行進の疲れから、朝7時半まで眠ってしまいました。
 今日は朝10時から青柳の事務所でSDPの政策についての会議、午後1時半からは市社協センターで渡邉先生の講演会、そして4時からラプラス自治労県本部のOB会がありました。OB会には元書記長や書記の人たち8人が集まり、東京からの里帰り中のSさんを中心に和やかな会合となりましたが、30年前の話など昔話に花を咲かせました。
 午前中の会議中、英明からいつも言われている文学者の孤独、文学者の政治参加の無意味さ、政治の限界について考えながら、いかにも徒労に終わる時間が多いことも痛感させられました。胸のうちで孔子の五徳(温良恭倹譲)を唱え、なるべく我慢していました。

 午後からの講演会は、渡邉洋一先生が1年半ぶりに青森へ来られ、先生は約1時間半「日本の福祉と成年後見人制度」という演題で話されました。思いを残して青森を離れられた先生が元気な姿で帰ってこられたことに嬉しさがつのりました。講演後、青森県野鳥を守る会が設立され、NPO法人「ういむい未来の里CSO」の一部会として活動することになりました。渡邉先生が部会長となり、山内さんが副部会長に決まり、事務局を担うことになりました。事前に何も話がなくて、「ふくろう」の博物展と観察から始めるということでした。会場で事務局を指名され、あまりの突然のことでびっくりしました。

 今日の子規歳時は、
 長き夜や障子の外をともし行く (1898年、明治31年9月13日)
 「月の都」以後にも子規は小説に望みを絶たなかったようですが、彼が小説に傾倒したのは明治18年9月、春廼舎朧(坪内逍遥)の「当世書生気質」を読んだときに始まるされています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言64です。
 其实即使天才,在生下来的时候的第一声啼哭,
 也和平常的一样,决不会就是一首好诗。
   Qíshí jíshǐ tiāncái, zài shēng xiàlái de shíhòu de dì yī shēng tikū, 
  yě hé píngcháng de yīyàng, jué bù huì jiùshì yī shǒu hǎo shī.
「たとえ天才といえども、生まれたときの第一声は、普通の赤ん坊と同じようにオギャー、オギャーであります。決して初めから立派な立派な詩ではないのです。」

 今日の論語一日一章は、論語11-2(論語巻第六 先進第11篇 2章)です。
 子曰、從我於陳蔡者、皆不及門者也、
 Zǐ yuē, cóng wǒ yú chén cài zhě, jiē bùjí mén zhě yě,
 子曰,从我於陈蔡者,皆不及门者也,
「子曰わく、我れに陳・蔡に従う者は、皆な門に及ばざるなり。」
孔子がいわれた、「陳や蔡にわたくしについていったものは、もうすっかり門下にはいなくなったね。」と。)