9月20日、高校野球秋の県大会で五所川原に勝つ

 今日は、素人デジカメ展の最終日です。3日間の展示でした。5点の写真を展示してもらいましたが、投票結果が気になります。第20回目ですが、これまで20位以内にも入ったことがありませんし、あいかわらず腕は上がっておらず、上位入賞は望むべくもありませんが、谷川俊太郎さんを撮った写真だけは気に入っています。
 今日は高校野球の県大会に出場している青高の初戦。五所川原市営球場で五所川原高校との試合でした。結果は、延長10回裏、2対1のサヨナラ勝ちでした。決して強くないチームですが、3年生のチームは春も夏もベストフォーに残りましたし、2年生主体の新チームも弱いなりに負けない野球をしています。打てない、守れない、走れないながらも、少しずつ成長しています。不思議なチームです。

 20日、午後3時に新青森駅に女房と一緒に宮園夫妻を迎えに行きました。3時10分過ぎに夫妻は改札口に降りてきました。まっすぐ、湯段の「森のイスキア」へ高速道路で大鰐インターで降り、リンゴの実が紅く色づくアップルロードを岩木山の山懐へと登っていきました。4時25分に嶽きみで有名な嶽温泉の向かいにある湯段温泉の一番奥にある森のイスキアに佐藤初女さんを訪ねることができました。もちろんアポイントをとってくれたのは、東京の出版社の宮園さんでした。
 森のイスキアには7人の東京の大学の女子大生たちが初女さんを囲んで夕食の準備の真っ最中でした。何をしているのかと覗いてみると、茗荷を串に刺していたのです。初女さんは椅子に腰かけて孫のような娘たちにやさしく味噌田楽のつくりかたを伝授しようとしているのでした。
 茗荷の串刺しを中断してもらい、宮園さんが自己紹介し、私たちのことも紹介してくれました。初女さんは女子大生たちに支えられながら隣のテーブルにセットされた私たちが座っている椅子の一角に腰をおろされて、穏やかな様子でしかも静かにうなずきながらゆっくり一言ひとことかみしめながら話されました。
 宮園さんは初女さんの新しい本を出したいと話されましたが、初女さんは即断をせず、「じっくり考えてみたいと思います」と返事をなさいました。94歳の初女さんは70歳をすぎて名を知られるようになったひとです。謙虚そのものでした。
 初女さんは、「いま何がほしいか」、と宮園氏の夫人にきかれ、「時間がほしい」と答えました。さらに、「いま、何をしたいか」の問いに対し、「充電したい」と答えられました。わずかの時間でしたが、94歳にしていまだに自分を高めようとしている強い意志に感動しました。初女さんにふるまわれたお茶はほんとうにおいしかったです。そして、そのとき出された茶菓子がおおさか屋の作ったものだと聞かされ、おおさか屋がかの高橋一智の器をもっている店だということを思い出しました。
 私たちの宿泊先はすぐ近くの時雨庵でした。森のイスキアから湯段温泉の前の通りを岩木山の反対の目屋側へ少し入ったところにある小さな宿屋です。時雨庵の女将は四人を笑顔で迎えてくれました。さっそく、抹茶をいれていただきました。心温まるもてなしです。

 今日の子規歳時は、
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず (1902年、明治35年9月20日)
 辞世3句にちなんで、19日の子規忌糸瓜忌、また別号によって獺祭忌ともいい、全国で盛んに催されています。墓は東京田端大龍寺にあります。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言73です。
 我翻并历史一查,这历史没有年代,
 歪歪斜斜的每叶上都写着”仁义道德”几个字。
 我横竖睡不着,仔细看了半夜,
 才从字缝里看出字来,
 满本都写着两个字是”吃人”!
 Wǒ fān bìng lìshǐ yī chá, zhè lìshǐ méiyǒu niándài,
 wāi wāixié xié de měi yè shàng dū xiězhe” rényì dàodé” jǐ gè zì.
 Wǒ héngshù shuì bùzháo, zǐxì kànle bànyè,
 cái cóng zì féng lǐ kàn chū zì lái,
 mǎn běn dōu xiě zháo liǎng gè zì shì” chī rén”!
「わたしが歴史を振り返ってちょっと調べてみると、歴史に年代などはなく、斜めに歪んだどの葉っぱの上にどれも『仁義道徳』という字が書きつけてあるだけだ。わたしが眠れない夜中にあたりを子細に眺めわたすと、闇の中に縫い合わされた二つの文字が浮かび出てきて、その文字はいずれも『吃人(人食い)』という文字なのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語11-9(論語巻第六 先進第十一篇 9章)です。
 顔淵死、子曰、噫天喪予、天喪予、
 Yán yuān sǐ, zǐ yuē, yī tiān sàng yǔ, tiān sàng yǔ,
(颜渊死,子曰,噫天丧予,天丧予,)
「顔淵死す。子曰わく、噫、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり、天予れを喪ぼせり。」
(顔淵が死んだ。孔子はいわれた、「ああ、天はわたしをほろぼした。天はわしをほろぼした。天はわしをほろぼした。」と。)