9月22日、5連休の四日目です。

 9月22日、昨日の敬老の日につづいて、今日は国民の休日です。明日は、5連休最後の秋分の日です。今朝は、20日に五所川原から買ってきたフランスパンで娘がガーリックトーストとフレンチトーストをつくり、それとコーヒーで朝食にしました。天気もよく、気分よく休日を過ごしています。
 今日は、午後から川柳教室、6時半から「ふくろうの會」です。青森市の鳥、梟をしたしみをこめて市民にひろめるための會です。来年1月にアウガでふくろうの博物展をひらくための準備会でもあります。

 今日の子規歳時は、
 静かさに磔うちけり秋の水 (1895年、明治28年9月22日)
 「散策集」は子規がこのころ松山滞在中近郊を吟行した自筆の句集で、旧全集発刊後に発見されたものです。少年時代からの友人、近藤元普翁(松山市御宝町)が秘蔵していましたが、惜しくも戦災で焼失してしまいました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言75です。
 实际上,中国人向来就没有争到过”人”的价格,
 至多不过是奴隶,到现在还如此,
 然而下于奴隶的时候,却是数见不鲜的。
 Shíjì shang, zhōngguó rén xiànglái jiù méiyǒu zhēng dàoguò” rén” de jiàgé,
 zhìduō bùguò shì núlì, dào xiànzài hái rúcǐ,
 rán'ér xià yú núlì de shíhòu, què shì shuò jiàn bù xiān de.
「実際のところ、中国人はかつて奴隷であったことながないので、「人格」について相争ったことがなかったのに、現在のように奴隷のような状態では、「人格」が曖昧になっているようにも見える。」

 今日の論語一日一章は、論語11-11(論語巻第六 先進第十一篇 11章)です。
 顔淵死、門人欲厚葬之、子曰、不可、門人厚葬之、子曰、囘也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也、
 Yán yuān sǐ, ménrén yù hòuzàng zhī, zǐ yuē, bùkě, ménrén hòuzàng zhī,
 zǐ yuē, huí yě shì yǔ yóu fù yě, yú bùdé shì yóuzi yě, fēi wǒ yě,
 fū èrsānzi yě,
(颜渊死,门人欲厚葬之,子曰,不可,门人厚葬之,子曰,囘也视予犹父也,予不得视犹子也,夫二三子也,)
「顔淵死す。門人厚くこれを葬らんと欲す。子曰わく、不可なり。門人これを葬る。子曰わく、回や、予れを視ること猶お父のごとし。予れは視ること猶お子のごとくすることを得ず。我れに非ざるなり、夫の二三子なり。」
(顔淵が死んだ。門人たちは立派な葬式をしたいと思った。孔子は「いけない。」といわれたが、門人たちは立派に葬った。孔子はいわれた、「回はわたしを父のように思ってくれたのに、わしは子のようにしてやれなかった。わたくしのしたことではないのだ、あの諸君なのだ。」と。)