9月26日、8時半の新幹線で仙台へ行きます

 9月26日になりました。日々の生活を見直し、生活防衛のために足許から改革していかないと年金生活者の生活は破綻してしまいます。こんなに老後の生活が厳しいものになるとは思いませんでした。いろいろなことに感動し、わが身をふりかえり、戸惑いながら毎日を送っているうちに早いもので、九月も月末が近づいてきました。次の年金支給日まで、耐乏生活を送らねばなりません。21日に時雨庵で見た彼岸花を思い出しています。

 今日の子規歳時は、
 木犀や母が教ふる二絃琴 (1896年、明治29年9月26日)
 毎日のように句会を開く傍ら、子規は原稿の筆を捨てずに、「俳諧大要」はこの間に起草された。その内容は折にふれて松風会員らに語ったもので、極堂らには常に読書の必要を力説していました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言79です。
 自有历史以来,中国人是一向被同族和异族屠戮,
 奴隶,敲掠,刑辱,压迫下来的,
 非人类所能忍受的楚毒,也都身受过,
 每一考查,真教人觉得不像活在人间。
 Zì yǒu lìshǐ yǐlái, zhōngguó rén shì yīxiàng bèi tóngzú hé yìzú túlù,
 núlì, qiāo è, xíng rǔ, yāpò xiàlái de,
 fēi rénlèi suǒ néng rěnshòu de chǔ dú, yě dū shēn shòuguò,
 měi yī kǎochá, zhēnjiào rén juédé bù xiàng huó zài rénjiān.
「有史以来、中国人は同族や異族らによって殺され、奴隷になったり、略奪されたり、刑罰を与えられたり、抑圧されてきた。人間では考えられないようなむごい毒も身に受けてきた。よく考えてみるにつけ、人には話せないようなことさえ人に教わっているのです。」

 今日の論語一日一章は、論語11-15(論語巻第六 先進第十一篇 15章)です。
 子曰、由之鼓瑟、奚爲於丘門、門人不敬子路
 子曰、由也升堂矣、未入於室也、
 Zǐ yuē, yóu zhī gǔ sè, xī wèi yú qiū mén, ménrén bù jìngzi lù,
 zǐ yuē, yóu yě shēng táng yǐ, wèi rù yú shì yě,
(子曰,由之鼓瑟,奚为於丘门,门人不敬子路,子曰,由也升堂矣,未入於室也)
「子曰わく、由の瑟、奚為れぞ丘の門に於いてせん。門人、子路を敬せず。子曰わく、由や堂に升れり。未だ室に入らざるなり。」
孔子が「由のひく瑟はどうも丘(このわたくし)ところではね。ふさわしくない。」といわれたので、門人たちは子路を尊敬しなくなった。孔子はいわれた、「由は堂の上には上がっているのだよ。まだ部屋に入っていないのだ。」と。)