10月13日、今週はタイトな一週間です。

 10月13日、東京から戻ると青森は雨が激しく降っています。12日の原子力資料情報室の40周年レセプションで、「市民科学者」になるべく、40年ぶりに勉強しなおしてみようと思いました。
 1992年10月1日、フランスとイギリスから日本へプルトニウムが輸送されるという計画が明らかになり、それを知ったアルゼンチンの外務省高官がこう語っています。
 「自分の家のそばを、カチカチと時を刻む時限爆弾を抱えて何者かがこっそり通り過ぎようとしたならば、誰でも心配するのが当然だ。」
 飛行機の中で、伊集院静が「ノボ」という、正岡子規が帰省して当時松山中学の教師だった夏目漱石の下宿・愚陀仏庵に投宿した50日間にわたる交友の迹をたどった物語を書いたことを知りました。ノボとは正岡子規の綽名です。いろんなところで、子規や漱石と出会うので、知的興味は尽きるところがありません。

 今日の子規歳時は、
 故郷や祭も過ぎて柿の味 (1897年、10月13日)
 石手寺門前で、「駄菓子売る茶店の門の柿青し」と詠み、余戸を過ぎて「村一つ渋柿勝に見ゆるかな」と詠んだのですが、愚陀仏庵滞在中にはあまり故郷の柿を味わう機会もなかったようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言95です。
 中国公共的东西,实在不容易保存。如果当局者是外行,他便将东西糟完,倘是内行,他便将东西偷完。
 Zhōngguó gōnggòng de dōngxī, shízài bù róngyì bǎocún. Rúguǒ dāngjú zhě shì wàiháng, tā biàn jiāng dōngxī zāo wán, tǎng shì nèiháng, tā biàn jiāng dōngxī tōu wán.
「中国では公共のものを保存するのは実のところ容易ではありません。もしも、当局の者が素人なら、彼はそのものをゴミのように扱い、専門家ならそのものをこっそり盗んでしまいます。」

 今日の論語一日一章は、論語12-4(論語巻第六 顔淵第十二篇 4章)です。
 司馬牛問君子、子曰、君子不憂不懼、曰、不憂不懼、
 斯可謂之君子已乎、子曰、内省不疚、夫何憂何懼、
 Sīmǎ niú wèn jūnzǐ, zǐ yuē, jūnzǐ bù yōu bù jù, yuē, bù yōu bù jù,
 sī kěwèi zhī jūnzǐ yǐ hū, zǐ yuē, nèi xǐng bù jiù, fū hé yōu hé jù,
(司马牛问君子,子曰,君子不忧不懼,曰,不忧不懼,斯可谓之君子已乎,子曰,内省不疚,夫何忧何懼,)
「司馬牛、君子を問う。子曰わく、君子は憂えず、懼れず。曰わく、憂えず、懼れず、斯れこれを君子と謂うべきか。子曰わく、内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何おか懼れん。」
(司馬牛が君子のことをおたずねした。孔子はいわれた、「君子は心配もせず恐れもしない。」「心配もせず恐れもしないなら、それで君子といって宜しいのでしょうか。」孔子はいわれた、「心に反省してやましくなければ、一体、何を心配し何を恐れるのか。」と。)