10月14日、好い天気になりました。

 今日は10月14日、水曜日です。浪岡事務所へ稲わらふりーでんマップの10月15日更新分の手交をしたあとで、新町事務所で仕事をして、そのあと水陽会です。
 天気予報はまた外れました。昼に、ラーメンを食べに外へ出てみると、わずかに雨が落ちていました。自転車をどうするか思案している間に、雨があがったので、まる海まで行きました。午後は無言で6時20分まで仕事をしました。おかげで、「西粟倉村視察報告」を書きあげることができました。水陽会へ行こうと事務所をでると雨が降っています。アーケードの下を走って、5分遅れで会場に着くと、いつものメンバーがそろっていました。1時間強の会議の後、外へ出ると相変わらず雨が降っていました。8時過ぎに家に着いた時にはしっかり濡れていました。帽子とジャンバーを羽織っていたので、濡れたのはズボンでしたが、着替えをしなければならないほどでした。

 今日の子規歳時は、
 菊の主拙き歌を詠みにけり (1899年、明治32年10月14日)
 明治32年10月の子規庵歌会に集まった11人の中に、「不可得」という名が見えました。前高野山管長の和田性海大僧正で、当時はまだ学生でした。昭和30年の秋、大僧正は松山を訪れ、埋髪塔や遺跡を弔ったのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言96です。
 骄和谄相纠结的,是没落的古国人民的精神的特色。
  Jiāo hé chǎn xiāng jiūjié de, shì mòluò de gèguó rénmín de jīngshén de tèsè.
「おごり高ぶりと諂いおもねりが重なり合うのが、衰退した古い国の人民の特色です。」

 今日の論語一日一章は、論語12-5(論語巻第六 顔淵第十二篇 5章)です。
 司馬牛憂曰、人皆有兄弟、我獨亡、子夏曰、
 商聞之矣、死生有命、富貴在天、君子敬而無失、
 與人恭而有禮、四海之内、皆爲兄弟也、
 君子何患乎無兄弟也、
 Sīmǎ niú yōu yuē, rén jiē yǒu xiōngdì, wǒ dú wáng, zi xià yuē,
 shāng wén zhī yǐ, sǐshēng yǒu mìng, fùguì zài tiān, jūnzǐ jìng ér wú shī,
 yǔ rén gōng ér yǒu lǐ, sìhǎi zhī nèi, jiē wèi xiōngdì yě,
 jūnzǐ hé huàn hū wú xiōngdì yě,
(司马牛忧曰,人皆有兄弟,我独亡,子夏曰,商闻之矣。死生有命,富贵在天,君子敬而无失,与人恭而有礼,四海之内,皆为兄弟也,君子何患乎无兄弟也,)
「司馬牛、憂えて曰わく、人皆な兄弟あり、我れ独り亡し。子夏が曰わく、商これを聞く、死生命あり、富貴天に在り。君子は敬して失わなく、人と恭ゞしくして礼あらば、四海の内は皆な兄弟たり。君子何ぞ兄弟なきを患えんや。」
(兄の桓魋が無法もので今にも身を滅ぼしそうであったので、司馬牛は悲しんでいった、「人々にはみな兄弟があるのに、わたくしだけにはない。」子夏はいった、「商このわたくしはこういうことを聞いている、「死ぬも生きるもさだめあり、富も尊さもままならぬ。」と。あなたの兄さんのことも、しかたがない。君子は慎んでおちどなく、人と交わるのに丁寧にして礼を守ってゆけば、世界中の人はみな兄弟になる。君子は兄弟のないことなどどうして気にかけることがあろう。」と。)