10月19日、月曜日です。今日は核燃いらない市民の会の例会です。

 今日は10月19日、月曜日です。朝3時に眠って、7時半に起き、OBGのニュース原稿を書きました。昨日の原稿と、川内原発再稼働問題と県内の再処理工場や東通原発に代表される原子力施設の防災計画の欠陥について書きました。10時に家を出て、新町の事務所へ行きました。昼は駅前公園で戦争法廃止を求めるスタンディングデモンストレーションです。昼は成田先生と幌加内そばを食べ、午後はずうっと事務所で核燃関係とりわけ原子力防災のチェックをしていました。
 6時半から蓮心寺で核燃いらない市民の会の例会でした。私が担当で、7人が集まりました。終わって、保志で前田、成田、田村の四人で飲みました。亀吉を飲みました。美味かったです。前田さんのやさしさにうたれました。16日、17日、18日、そして今日と4日連続で前田さんの温かみにふれたのでした。

 今日の子規歳時は、
 暮れ行くや杉の林の薄紅葉 (1896年、明治29年10月19日)
 子規の16、7歳ころの希望は太政大臣であったようです。上京後は哲学者を志しました。文学は目的でしたが、飯を食う道として健康ならば幼稚園の先生もやってみたく、造林もおもしろかろうと、10月19日の「仰臥漫録」に書いています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言100です。
 科学不但并不足以补中国文化之不足,
 却更加证明了中国文化之高深。
 风水,是合于地理学的,门阀,是合于优生学的,
 炼丹,是合于化学的,放风筝,是合于卫生学的。
 Kēxué bùdàn bìng bùzú yǐ bǔ zhōngguó wénhuà zhī bùzú,
 què gèngjiā zhèngmíngliǎo zhōngguó wénhuà zhī gāoshēn.
 Fēngshuǐ, shì hé yú dìlǐ xué de, ménfá, shì hé yú yōushēng xué de,
 liàndān, shì hé yú huàxué de, fàng fēngzhēng, shì hé yú wèishēng xué de.
「科学は中国文化の足りないところを補うことができないばかりか、中国文化が深遠であることをさらに証明してくれる。風水は地理学に通ずるし、門閥優生学に、煉丹の薬は化学に、そして凧揚げは衛生学にぴったり合うからだ。」

 今日の論語一日一章は、論語12-9(論語巻第六 顔淵第十二篇 9章)です。
 哀公問於有若曰、年饑用不足、如之何、有若對曰、盍徹乎、曰、二吾猶不足、如之何其徹也、對曰、百姓足、君孰與不足、百姓不足、君孰與足、
 Āigōng wèn yú yǒu ruò yuē, nián jī yòng bùzú, rú zhī hé, yǒu ruò duì yuē, hé chè hū, yuē, èr wú yóu bùzú, rú zhī héqí chèyě, duì yuē, bǎixìng zú, jūn shú yǔ bùzú, bǎixìng bùzú, jūn shú yǔ zú,
(哀公问於有若曰,年饑用不足,如之何,有若对曰,盍徹乎,曰,二吾犹不足,如之其徹也,对曰,百姓足,君孰与不足,百姓不足,君孰与足,)
「哀公、有若に問いて曰わく、年饑えて用足らず、これを如何。有若対えて曰わく、盍んぞ徹せざるや。曰わく、二にして吾れ猶お足らず、これを如何ぞ其れ徹せんや。対えて曰わく、百姓足らば、君孰と与にか足らざらん。百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。」
(哀公が有若におたずねになった、「凶作で費用が足りないが、どうしたものだろう。」有若が答えていうには、「いっそ徹(一割の税)になさっては。」「二割でもわたしは足りないのに、どうしてまた徹にするのか。」答えていった、「万民が十分だというのに、殿様はだれといっしょで足りないのでしょうか。万民が足りないというのに、殿様はだれといっしょで十分なのでしょうか。」と。)
 ※徹;周の税法で、収穫の10分の1を課する。魯では宣公の時から10分の2になっていた。