10月22日、今日は10月の月曜会の日です。

 10月22日、木曜日の朝です。今日は、少し暖かくなりました。今日も充実した一日にすべく張り切っています。昨夜は雨が続き心配しましたが、今朝は青空ものぞいています。日課を切り上げて、早めに新町のGEAの事務所へ向かうつもりです。

 今日の子規歳時は、
 尻焦けし柚味噌の釜や古畳 (1989年、明治32年10月22日)
 石井露月が秋田へ帰る送別句会を道潅山で催したのが明治32年10月23日のことでした。この日は虚子が持ってきた柚味噌(ゆみそ)を焼いて賞味したのでした。子規はこうした趣向を喜んだのです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言103です。
 外国用火药制造子弹御敌,中国却用做爆竹敬神;
 外国用罗盘针航海,中国却用它看风水;
 外国用雅片医病,中国却拿来当饭吃。
 同是一种东西,而中外用法之不同有如此,
 盖不但电气而已。
 Wàiguó yòng huǒyào zhìzào zǐdàn yù dí, zhōngguó què yòng zuò bàozhú jìngshén; 
 wàiguó yòng luópán zhēn hánghǎi, zhōngguó què yòng tā kàn fēngshuǐ; 
 wàiguó yòng yā piàn yī bìng, zhōngguó què ná lái dāng fàn chī. 
 Tóng shì yī zhǒng dōngxī, ér zhōngwài yòngfǎ zhī bùtóng yǒu rúcǐ, 
 gài bùdàn diànqì éryǐ.
「西洋では火薬で爆弾を造って敵を攻撃するのに、中国ではそれで爆竹を造って神を敬います。西洋では羅針盤を使って航海しますが、中国ではそれで風水をみます。西洋では医学のために阿片を用いますが、中国ではそれで御飯を食べるのです。このように同じものでも、中国と西洋では、電気につける蓋のように別の使い方をします。」

 今日の論語一日一章は、論語12-12(論語巻第六 顔淵第十二篇 12章)です。
 子曰、片言可以折獄者、其由也與、子路無宿諾、
 Zǐ yuē, piànyán kěyǐ zhé yù zhě, qí yóu yě yǔ, zilù wúsù nuò,
(子曰,片言可以折狱者,其由也与,子路无宿诺,)
「子曰わく、片言以て獄(うった)えを折(さだ)むべき者は、其れ由なるか。子路、諾を宿(とど)むること無し。」
孔子がいわれた、「ほんの一言を聞いただけで、訴訟を判決できるのは、まあ由だろうね。」子路はひきうけたことにぐずぐずしたことはなかった。)