·10月21日、今日は昼に高畑さんの取材です

 10月21日、今朝もおひさまは薄雲のあいだからさしていますが、つめたい雰囲気が漂っています。昨日は1年ぶりでしたが、浪岡に到着しだいに雨が降り出した事務所に古村さんを訪ねました。この間の不忠不明を詫びるつもりでしたが、真意を伝えることができないまま1時間半が過ぎ、昼前の時間になったため、農作業をひかえた古村さんから時間切れが宣言されて、12月5日の忘年会での再会を約して青森へ戻る結果となりました。いちどねじれてもつれた糸を元に戻すのは容易ではないと痛感しました。こうして私たちは人間関係を修復できないまま死んでいくのかもしれません。それだけに、自分の出処進退を誤らないようにしなくてはならないと遅まきながら実感しました。「信」ということが如何に大事かよくわかりました。
 まっすぐ、青柳の事務所へ行き、潤ちゃんとひとみさんに18日の挨拶をして弁当を食べ、午後1時のデジカメ講習会(毎月第3火曜日)に出ました。今村、昆、坂本さんの3人がカメラ談義をしていました。昆さんからシャッタースピードを30分の1にして写すやり方(A→S)を教えてもらい、一つ動きの速いものを写すことができるようになりました。2時半にロウフクに車を置いて、新町事務所へ歩いて向かいました。連合の内山さんに資料を返す前にチェック作業をしたのでした。
 工藤さんから11月の鹿角行きに風晴さんも同行することになったと伝えられました。柏谷先生と4人で行くのは楽しみです。湯瀬温泉に泊まることになりそうです。結局、26日の原子力政策懇話会の事前配布資料のチェックを続けながら6時半に事務所を出て、家に帰ることにしました。今月中に、12月4日の核燃裁判で原告団準備書面を私が東通原発原子力防災問題、とりわけ住民避難計画の問題点を指摘する役目を仰せつかり、タイムリーな課題を連合青森の内村会長が与えてくれたのでした。市民科学者として、真正面から今月は取り組むつもりです。
 今日は、天気も好さそうなので、9時には事務所へ行き、残りの東通原発の住民避難計画の計画チェックを行い、10時半からは青柳事務所でOBGニュースの発送作業を手伝い、午後1時には来月の月曜会(11月16日)の講師取材で高畑幸さんとアウガで会う予定です。そのあとは6時過ぎまで、チェック作業を終えて、内村さんへ資料を返す予定です。今日は午後一番で、高畑さんから青森の魅力野菜作りの面白い話がきけました。来月16日の月曜会(午後6時半からアウガ5階)はきっと良いお話が聴けそうです。10月15日号の広報あおもりに内容が載っていました。
 おかげ様で、A4版で52頁の私なりの懇話会而全資料にもとづく県内原子力施設の現況と原子力規制委員会の適合審査の審査状況のメモと東通原発の5キロ圏内(PAZ)と30キロ圏内(UPZ)の重大事故が発生した場合の避難計画の検討状況や実効性についての検討をほぼ書きうつすことができました。それらに対する34項目、A4版11頁の質問書も完成させることができました。結局、印刷して元の資料も含めて連合に返却できたのは6時を回っていました。新町の事務所をでると、あたりは暗くなっていましたが、アーケードには灯りがついていました。空に星は見えず、闇の中から雨が降り始めていました。ほぼ一カ月かけてやり終えた充実感からか、体中に満足感があふれてくるのを感じて、ペダルを軽やかに踏んで本町の労福会館へ向かいました。
 明日はいよいよ午後6時からアウガ月曜会です。その前段、同じアウガの公立大の街なかラボで午後5時から地域政策学会の研究会があります。

 今日の子規歳時は、
 豚汁や芋を得て秋の季となりぬ (1899年、明治32年10月21日)
 虚子の家に子規をはじめ鳴雪・碧梧桐・為山・青々ら集まるもの10人、闇汁を思いつき、めいめい町へ出て物を求め、大鍋を囲んで興じたのでした。明治32年10月21日のことでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言102です。
 每一新的事物进来,起初虽然排斥,但看到有些可靠,
 就自然会改变。不过并非将自己变得合于新事物,
 乃是将新事物变得合于自己而已。
 Měi yī xīn de shìwù jìnlái, qǐchū suīrán páichì, dàn kàn dào yǒuxiē kěkào,
 jiù zìrán huì gǎibiàn. Bùguò bìngfēi jiāng zìjǐ biàn dé hé yú xīn shìwù,
 nǎi shì jiāng xīn shìwù biàn dé hé yú zìjǐ éryǐ.
「最初は新しい物事が入ってくると、排斥するものだが、それが多少信頼できるものだと、自然に受け入れるように変わるものだ。それは新しい物事に合わせるように自分が変わるのではなく、その物事が自分に合うように変わるのである。」

 今日の論語一日一章は、論語12-11(論語巻第六 顔淵第十二篇 11章)です。
 齊景公問政於孔子孔子對曰、
 君君、臣臣、父父、子子、公曰、善哉、信如君不君、
 臣不臣、父不父、子不子、雖有粟、吾豈得而食諸、
 Qíjǐnggōng wèn zhèng yú kǒngzǐ, kǒngzǐ duì yuē,
 jūn jūn, chén chén, fù fù, zǐ zǐ, gōng yuē, shànzāi, xìn rú jūn bù jūn,
 chén bù chén, fù bù fù, zi bù zi, suī yǒu sù, wú qǐ dé ér shí zhū,
(齐景公问政於孔子孔子对曰,君君,臣臣,父父,子子,公曰,善哉,信如君不君,臣不臣,父不父,子不子,雖有粟,吾岂得而食诸,)
「斉の景公、政を孔子に問う。孔子対えて曰わく、君君たり、臣臣たり、父父たり、子子たり。公の曰わく、善いかな。信に如し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟ありと雖ども、吾れ豈に得て諸れを食らわんや。」
(斉の景公が孔子に政治のことをたずねた。孔子が答えていわれた、「君は君として、臣は臣として、父は父として、子は子として、それぞれ本分をつくすようにあることです。」公はいわれた、「善いことだね、本当にもし君が君でなく、父が父でなく、子が子でないようなら、穀物があったところで、わたしはどうしてそれを食べることができようか。」と。)