10月23日、今朝は昨日の余韻がまだ残っています。

 10月23日、金曜日の朝になりました。今日は9時からのしあわせプラザの地域経営学会の会合に出て、そのあと新町の事務所に夕方までいるつもりです。
 8時35分に家を出て、55分にしあわせプラザに着きました。西野先生、藤永先生、それに遠藤先生と山内さんの4人がすでに地域経営学会の意見交換会に着席していました。大学とはなにか。大学のガバナンスとは何か。公立大学のミッションとはなにか。大学のステークホルダーは誰か。市民とはなにか。地域とはなにか。都会と地方と地域の違いは何か。遠藤先生は50代。私は60代。あとの3人は皆、70代です。皆、元気で、論理的で、よく物覚えがいい人ばかりでした。
 10時少し前に西平内山口の茂喜から電話があり、新米を持ってきてくれるとのこと。午後2時までに家に戻ることにしました。会合が終わり、新町の事務所で10月1日の七和の薪循環プロジェクトの報告書を書いていると、三上亨さんが事務所へ現れる。東京の病院から一時退院してきたばかりという。11月中旬には戻る予定という。1時半にいったん家へ戻り、茂喜を迎えて、コーヒーで互いの近況を話す。
 3時過ぎに事務所へ戻り、三上氏、工藤氏と打ち合わせをし、5時に事務所を出ました。途中、とり平へ寄り、6時に家に帰りました。木村友彦さんからリンゴが届いていました。夕食はカレー。たらふく食べることができました。大満足でした。

 今日の子規歳時は、
 行秋や病気見舞の青蜜柑 (1900年、明治33年10月23日)
 子規の誕生日は、いつも旧暦の9月17日に祝ったのでした。明治32年には碧梧桐・虚子・鼠骨・四方太を招いたのでしたが、赤・青・黄・白・茶などの題を課し、その色の食物、おもちゃなどを持寄る趣向を喜んでいました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言104です。
 我们中国的最伟大最永久,而且最普遍的”艺术”是男人扮女人。这艺术的可贵,是在于两面光,或谓之”中庸”―― 男人看见”扮女人”,女人看见”男人扮”。
  Wǒmen zhōngguó de zuì wěidà zuì yǒngjiǔ, érqiě zuì pǔbiàn de” yìshù” shì nánrén bàn nǚrén. Zhè yìshù de kěguì, shì zàiyú liǎngmiàn guāng, huò wèi zhī” zhōngyōng”―― nánrén kànjiàn” bàn nǚrén”, nǚrén kànjiàn” nánrén bàn”.
「我が中国の最も偉大で最も永久で、しかも最も普遍的な『芸術』は男が女に変装することである。この芸術が尊いのは、男が『女装した女』を見ること、女が『女装した男』を見る――という二つの面、あるいはいわゆる『中庸』という面があるということだ。」

 今日の論語一日一章は、論語12-13(論語巻第六 顔淵第十二篇 13章)です。
 子曰、聽訟吾猶人也、必也使無訟乎、
 Zǐ yuē, tìngsòng wú yóu rén yě, bì yě shǐ wú sòng hū,
(子曰,听讼无犹人也,必也使无讼乎,)
「子曰わく、訴えを聴くは、吾れ猶お人のごときなり、必らずや訴え無からしめんか。」
孔子はいわれた、「訴訟を聞くことではわたしもほかの人と同じだ。強いていうなら、それよりも訴訟をなくさせることだろう。」と。)