11月1日、朝に冷たい水でシャワーを浴び目が醒めました

 いよいよ今日から11月です。気持ちを変えるつもりで、「カバのため息」のタイトルメッセージも変えました。今日も一日、ライフワークの原子力防災の検討批判作業を続けながら、合間をみて、小説も書き始めたいと思います。
 今日は小春日和の感じもしますが、原告団準備書面の準備で午後からも明け暮れるつもりです。

 今日の子規歳時は、
 山門をぎいと鎖すや秋の暮 (1896年、明治29年11月1日)
 子規が初めて発句を知り、その趣味を感じたのは、明治18年東京神田猿楽町の下宿時代、貸本屋から借りた発句の本を読んだ時からであろうと、柳原極堂は語っています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言113です。
 中国人向来有点自大。――只可惜没有”个人的自大”,都是”合群的爱国的自大”。
 Zhōngguó rén xiànglái yǒudiǎn zì dà.――Zhǐ kěxí méiyǒu” gèrén de zì dà”, dōu shì” héqún de àiguó de zì dà”.
「中国人には昔から尊大なところがあります。惜しむらくは、ただそれは、『個人的な尊大さ』ではなく、いつも『群衆的な愛国的な尊大さ』なのです。」

 今日の論語一日一章は、論語12-22(論語巻第六 顔淵第十二篇 22章)です。
 樊遲問仁、子曰愛人、問知、子曰知人、樊遲未達、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直、樊遲退、見子夏曰、嚮也吾見於夫子而問知、子曰、擧直錯諸枉、能使枉者直、何謂也、子夏曰、富哉是言乎、舜有天下、選於衆擧皐陶、不仁者遠矣、湯有天下、選於衆擧伊尹、不仁者遠矣、
 Fán chí wèn rén, zǐ yuē àirén, wèn zhī, zǐ yuē zhīrén, fán chí wèi dá, zǐ yuē,
 jǔ zhí cuò zhū wǎng, néng shǐ wǎng zhě zhí, fán chí tuì, jiàn zi xià yuē,
 xiàng yě wú jiànyú fūzǐ ér wèn zhī, zǐ yuē, jǔ zhí cuò zhū wǎng,
 néng shǐ wǎng zhě zhí, héwèi yě, zi xià yuē, fù zāi shì yán hū,
 shùn yǒu tiānxià, xuǎn yú zhòng jǔ gāo táo, bù rénzhě yuǎn yǐ,
 tāng yǒu tiānxià, xuǎn yú zhòng jǔ yī yǐn, bù rénzhě yuǎn yǐ,
(樊迟问仁,子曰爱人,问知,子曰知人,樊迟未达,子曰,举直错诸枉,能使枉者直,樊迟退,见子夏曰,嚮也吾见於夫子而问知,子曰,举直错诸枉,能使枉者直,he4谓也,子夏曰,富哉是言乎,舜有天下,选於众举臯陶,不仁者远矣,汤有天下,选於众举伊尹,不仁者远矣,)
「樊遅、仁を問う。子曰わく、人を愛す。知を問う。子曰わく、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰わく、直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめん。樊遅退きて子夏に見えて曰わく、直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしめんと。何の謂いぞや。子夏が曰わく、富めるかな、是の言や。舜、天下を有ち、衆に選んで皐陶を挙げしかば、不仁者は遠ざかれり。湯、天下を有ち、衆に選んで伊尹を挙げしかば、不仁者は遠さかれり。」
(樊遅が仁のことをたずねると、孔子はいわれた、「人を愛することだ。」智のことをたずねると、「人を知ることだ。」といわれた。樊遅はまだよく分からなかった。孔子はいわれた、「正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。」樊遅は退出してから子夏に会って話した、「さきほどわたしはうちの先生にお会いして智のことをたずねたが、先生は『正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位づけたなら、邪悪な人々も正しくさせることができる。』といわれた。どういう意味だろうか。」子夏はいった、「充実しているね。そのことばは、舜が天下をとったとき、大勢の中から選んで皐陶をひきたてたので、仁でない者どもは遠ざかった。湯が天下をとったときも、大勢の中から選んで伊尹をひきたてたので、仁でない者どもは遠ざかったのだ。」と。)