11月7日、おかじょうき句会で天位に1句えらばれました

  健診の呪縛からのがれてすっきりした気分で奏海の会に行き、午後はおかじょうきの句会、夜は映画「夏休みの宿題」を観てきました。奏海の会でねぶたの話を聞き、おかじょうきでは「おふくろの貯金をいれたマッチ箱」が天位にえらばれました。夜は、1889年の映画「夏休みの宿題は忘れない」を観て涙を流しました。  健診の呪縛からのがれてすっきりした気分で奏海の会に行き、午後はおかじょうきの句会、夜は映画「夏休みの宿題」を観てきました。奏海の会でねぶたの話を聞き、おかじょうきでは「おふくろの貯金をいれたマッチ箱」が天位にえらばれました。夜は、1889年の映画「夏休みの宿題は忘れない」を観て涙を流しました。25年前の山邨監督、倉岡さん、そして玄君のことを思い出していたからです。この社会には、正義はないのでしょうか。

 今日の子規歳時は、
 燈心の如き白菊咲きにけり (1900年、明治33年11月7日)
 漱石からの手紙は、病床の子規を喜ばしました。「僕の目の明いてる内に今一便よこしてくれぬか」と頼んだのでした。「倫敦消息」の稿を継いで、子規最後の望みを満たしえなかったのが漱石の心残りであったのです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言119です。
 中国的人们,遇见带有会使自己不安的朕兆的人物,向来就用两样法;将他压下去,或者将他棒起来。
 「中国の人民は、自分を危うくしそうな人物にであうと、決まって二つの対処をします。ひとつは、その人を押さえつけて屈服させるやり方であり、もうひとつは服従するかのどちらかです。」

 今日の論語一日一章は、論語13-4(論語巻第七 子路第十三篇 4章)です。
 樊遅請學稼、子曰、吾不如老農、請學爲圃、子曰吾不如老圃、樊遅出、子曰、小人哉樊須也、上好禮、則民莫敢不敬、上好義、則民莫敢不服、上好信、則民莫敢不用情、夫如是、則四方之民、襁負其子而至矣、焉用稼、
 Fán chí qǐng xué jià, zǐ yuē, wú bùrú lǎonóng, qǐng xué wèi pǔ,
 zǐ yuē wú bùrú lǎo pǔ, fán chíchū, zǐ yuē, xiǎo rén zāi fán xū yě,
 shàng hǎo lǐ, zé mín mò gǎn bùjìng, shàng hào yì, zé mín mò gǎn bùfú,
 shàng hǎo xìn, zé mín mò gǎn bùyòng qíng, fū rúshì, zé sìfāng zhī mín,
 qiǎng fù qí zi ér zhì yǐ, yān yòng jià,
(樊迟请学稼,子曰,吾不如老农,请学为圃,子曰吾不如老圃,樊迟出。子曰,小人哉樊须也,上好礼,则民莫敢不敬,上好义,则民莫敢不服,上好信,则民莫敢不用情,夫如是,则四方之民,襁负其子而至矣,焉用稼,)
「樊遅稼を学ばんと請う。子曰わく、吾れ老農に如かず、圃を為ることを学ばんと請う。曰わく、吾れ老圃に如かず。樊遅出ず。子曰わく、小人なるかな、樊須や。上礼を好めば、則ち民は敢えて敬せざること莫し。上義を好めば、則ち民は敢えて服せざること莫し。上信を好めば、則ち民敢えて情を用いざること莫し。夫れ是くの如くんば、則ち四方の民は其の子を襁負して至らん。焉んぞ稼を用いん。」
(樊遅が穀物づくりを習いたいとねがうと、孔子は「わたしは年よりの百姓に及ばない。」といわれた。野菜づくりを習いたいとねがうと、「わたしは年よりの畑づくりに及ばない。」といわれた。樊遅が退出してから、孔子はいわれた、「小人だね、樊須は。上の者が礼を好めば人民はみな尊敬するし、上の者が正義を好めば人民はみな服従するし、上の者が誠実を好めば人民はみなまごころを働かせる。まあそのようであれば、四方の人民たちもその子供を背負ってやってくる。どうして穀物づくりを習うことなどいるものか。」と。)