11月8日、日曜です。リンゴもぎ、講演会、三人会の日です。

 今日も朝に日課をやり、10時過ぎに梅田のリンゴ園に収穫祭へ行って来て、ふじをもいできました。
 1時に戻り、核燃阻止の秋の共同行動の学習会に参加してきました。大竹さんの講演を聞いてきました。そのあと、図書館へ行き、1時間半ほど、「市庁舎の在り方」を考える会の提案メモを修正していました。5時からは弁慶で、エイメイと壬生の両氏との懇談会でした。
 9時前に戻りましたが、疲れて、インスタントラーメンを食べて眠ることにしました。

 今日の子規歳時は、
 内庭に割木つみたり冬搆(まま) (1896年、明治29年11月8日)
 明治19年晩秋のある日、子規の同級生の米山保三郎が来訪して一泊していきました。彼から哲学談を聞いて敬服し、こんな男とは到底競争できるぬと嘆声をもらしたということです。米山は漱石の「吾輩は猫」に出てくる天然居士のことです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言120です。
 中国人的官瘾实在深,汉重孝廉而有理儿刻木,
 宋重理学而有高帽破靴,清重帖括则有
 ”且夫””然则”。 总而言之;那魂灵就在做官,
 ――行官势,摆官腔,打官话。
  Zhōngguó rén de guān yǐn shízài shēn, hàn zhòngxiào lián ér yǒulǐ er kè mù,
 sòng zhòng lǐxué ér yǒu gāo mào pò xuē, qīngzhòng tiē kuò zé yǒu
 ” qiě fū”” ránzé”. Zǒng'éryánzhī; nà húnlíng jiù zài zuò guān,
 ――xíng guān shì, bǎi guānqiāng, dǎ guānhuà.
「中国人の官僚に対する執着には実に根深いものがある。漢の時代には孝行と清廉が重んじられ、その道理が竹簡に刻まれたし、宋の時代には高い帽子と破れた靴が重宝された。清の時代には、帳面に『そのまま』、『しからば』という言葉の書きつけが重宝がられたものだ。要するに、役人になるには、そうした修養をつむことが必要だいうことだ。即ち、役人には勢いがあり、役職をひらけかすことができ、役人口調で命令できるからだ。」

 今日の論語一日一章は、論語13-5(論語巻第七 子路第十三篇 5章)です。
 子曰、誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専對、雖多亦奚以爲、
 Zǐ yuē, sòng shī sānbǎi, shòu zhī yǐ zhèng bù dá, shǐ yú sìfāng bùnéng zhuān duì, suī duō yì xī yǐwèi,
(子曰,诵诗三百,授之以政不达,使於四方不能专对,雖多亦奚以为,)
「子曰わく、詩三百を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専り対うること能わざれば、多しと雖も亦た奚(なに)を以て為さん。」
孔子がいわれた、「詩経の三百篇を暗誦していても、それに政務を与えても通じが悪く、四方の国々へ使いにいっても一人で応対できないのでは、たとい暗誦が多くできても何の役にたとうか。)