11月11日、好い日、佳い日になりそうです

 11月11日、水曜日です。昨日は、朝と夕方と夜に雨がときどき降り、結局、帰りも雨にうたれました。11月に入って、天気があまりよくありません。ふじの収穫まっさかりですが、友さんも大変苦労しておられることと推察します。18日まで作業をつづけるようですが、頑張ってもらいたいものです。
 今日は朝から太陽が眩しく、青空が広がっています。12時半までに南部町へ「食と農と福祉の連携のあり方」についての話を聞きに行くつもりなので、今日は家で日課を始めています。渡邉洋一先生がどんな話を提起するのか楽しみです。
 10時半に家を出て、岳樺とブナ林の灰色の樹肌に見とれながら田代から東八甲田の山並の荘厳さにうたれ、旧十和田湖町から十和田を抜け、2時間弱かけて、12時20分に南部町役場に着きました。会場の中央公民館が近くにあるのだと思いきや旧名川町にあると聞いてバックし、結局、着いたのは12時40分でした。
 それから3時間余、講演(渡邊先生)とシンポジウム(渡邉先生・工藤南部町長・苫米地あぐりの里理事長)とフロアとの質疑やりとりがおわるまで、ずうっと椅子にすわりっぱなしでした。
 「食と農と福祉の連携のあり方」こそ、地方創生のかたちだと社会福祉の在り方の今後の方向性もふくめ、若者をいかに定着させるかがカギだと渡邊先生は言い、あぐりの里理事長の苫米地さんは、食と農と福祉に観光も加えて実践していること報告し、工藤町長はまず農と観光にこだわり、グローバル化にそなえ、英語・韓国語のできる職員を採用し、次は中国語で交渉ができる職員を採用したいと話していました。青森市も食と農と福祉と観光の連携を求めていくべきかと思いました。


 今日の子規歳時は、
 芭蕉忌や我に派もなく伝もなし (1898年、明治31年11月11日)
 明治26年は芭蕉二百年忌に当たりました。子規は11月6日の「日本」に「芭蕉翁の一驚」を掲げ、十三日から「芭蕉雑談」を連載し、年を越えて前後25回に及んだのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言123です。
 ”世故”深到不自觉其”深于世故”,
 这才真是”深于世故”的了。
 这是中国处世法的精义中的精义。
 ” Shìgù” shēn dào bù zìjué qí” shēn yú shìgù”,
 zhè cái zhēnshi” shēn yú shìgù” dele.
 Zhè shì zhōngguó chǔshì fǎ de jīng yì zhōng de jīng yì.
「『如才なさ』は中国では無意識のうちに『とことんの如才なさ』になりますが、これこそ真の『とことんの如才なさ』の才覚なのです。これこそ中国の世渡りの精義なのです。」

 今日の論語一日一章は、論語13-8(論語巻第七 子路第十三篇 8章)です。
 子謂衛公子荊、善居室、始有曰苟合矣、少有曰苟完矣、富有曰苟美矣、
 Zi wèi wèi gōngzǐ jīng, shàn jūshì, shǐ yǒu yuē gǒuhé yǐ,
 shǎo yǒu yuē gǒu wán yǐ, fùyǒu yuē gǒu měi yǐ,
(子谓衛公子荆,善居室,始有曰苟合矣,少有曰苟完矣,富有曰苟美矣,)
「子衛の公子荊(けい)を謂わく、善く室を居(お)く。始め有るに曰わく、苟(いささ)か完し。富(さかん)に有るに曰わく、苟か美(よ)し。」
孔子は衛の公子の荊のことをこういわれた、「家財の貯えがうまい。やっと家財のできたときには『なんとかまにあうよ。』といっているが、かなりできたときには『なんとかととのったよ。』といい、うんとできたときには『なんとか立派になったよ。』といっている。いつもひかえめで貪らなかった。」と。)