11月12日、今日はペンクラブの役員会です

 11月12日、木曜日です。朝食を食べ、風呂へ入り、いつものように家を出て、新町の事務所まで向かいます。
 
 今日の子規歳時は、
 お宮まで行かで帰りぬ酉の市 (1899年、明治32年11月12日)
 明治32年11月13日は本郷金助町に岡麓を訪ねています。この日は酉の市の日でした。16日には小石川町に香取秀真を訪れて、牛肉の料理などでもてなされたのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言124です。
 如果从隶生活中寻出”美”来,赞叹,抚摩,陶醉,
 那可简真是万劫不复的奴才了,
 他使自己和别人永远安住于这生活。
 Rúguǒ cóng lì shēnghuó zhōng xún chū” měi” lái, zàntàn, fǔmó, táozuì,
 nà kě jiǎn zhēnshi wànjiébùfù de núcáile,
 tā shǐ zìjǐ hé biérén yǒngyuǎn ānzhù yú zhè shēnghuó.
「もしも、奴隷生活のなかに『美』を見出せるとすれば、それは賞賛、なでつけ、陶酔であり、それは未来永劫そこから抜け出せないことから、自分と他人を区別して永遠の安住場所として生活するからです。」

 今日の論語一日一章は、論語13-9(論語巻第七 子路第十三篇 9章)です。
 子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、既庶矣、又何加焉、曰富之、曰既富矣、又何加焉、曰教之、
 Zi shì wèi, rǎnyǒupú, zǐ yuē, shù yǐ zāi, rǎn yǒu yuē, jì shù yǐ,
 yòu hé jiā yān, yuē fù zhī, yuē jì fù yǐ, yòu hé jiā yān, yuē jiàozhī,
(子适违,冉有仆,子曰,庶矣哉,冉有曰,既庶矣,又何加焉,曰既富矣,又何加焉,曰教之,)
「子、衛に適く。冉有僕たり。子曰わく、庶きかな。冉有が曰わく、既に庶し。又た何をか加えん。曰わく、これを富まさん。曰わく、既に富めり。又た何をか加えん。曰わく、これを教えん。」
孔子が衛の国へ行かれたとき、冉有が御者であった。孔子が「衛の人口は多いね。」といわれたので、冉有は「多くなったら、さらに何をしたものでしょう。」というと、「富ませよう。」といわれた。「富ませたら、さらに何をしたものでしょう。」というと、「教育しよう。」といわれた。)