11月13日、今日は千成の四人会です。

 11月13日、金曜日です。今日から15日まで連れ合いが東京の娘のところへ行きました。去年は箱根、今年は安曇野へ行くというので、朝6時に新青森駅まで送っていきました。
 今日は「東通原発原子力防災計画」の批判の続きをやり、3時からGEAの事務局会議、6時から千成で四人会です。

 今日の子規歳時は、
 牛喰へと勧むる人や冬籠 (1899年、明治32年11月13日)
 明治30年ころ子規は隔日に牛肉をくい、32年に香取秀真を訪うた日も牛肉をもてなされたのでした。それが、34年の「仰臥漫録」には、刺身ばかり食べていて、牛肉を食べた記事が一つもないのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言125です。
 我们从古以来,就有埋头苦干的,
 有拼命硬干的人,有为民请命的人,
 有舍身求法的人,……虽是等于为帝王将相作家谱的所谓”正史”,也往往掩不住他们的光耀,这就是中国的脊梁。
 Wǒmen cóng gǔ yǐlái, jiù yǒu máitóu kǔ gàn de,
 yǒu pīnmìng yìng gàn de rén, yǒu wéi mín qǐngmìng de rén,
 yǒu shěshēn qiúfǎ de rén,
 suī shì děngyú wèi dìwáng jiàng xiàng zuòjiā pǔ de suǒwèi” zhèngshǐ”,
 yě wǎngwǎng yǎn bù zhù tāmen de guāngyào, zhè jiùshì zhōngguó de jǐliang.
「我々には古くから、わき目もふらずに励む人、懸命にやり通す人、民のために助けを請う人、捨て身で審理を求める人がいた。……帝王や将軍・宰相の家譜にも等しい、いわゆる「正史」といえど、往々にして彼らの輝きを蔽い隠すことはできなかった。これこそ中国の脊梁(せぼね)である。」

 今日の論語一日一章は、論語13-10(論語巻第七 子路第十三篇 10章)です。
 子曰、苟有用我者、期月而已可也、三年有成、
 Zǐ yuē, gǒu yǒuyòng wǒ zhě, qī yuè éryǐ kě yě, sān nián yǒu chéng,
(子曰,苟有用我者,期月而已可也,三年有成,)
「子曰わく、苟も我れを用うる者あらば、期月のみにして可ならん。三年にして成すこと有らん。」
孔子がいわれた、「もしだれかがわたくしを用いて政治をさせてくれる人があれば、一年だけでも結構なのだ。三年もたてば立派にできあがる。」と。)