11月14日、青森から日本を戦争しない国にもどします

 今日は昨日から連れ合いが東京の娘のところへ旅行にいって、ひとりで目覚めました。朝のシャワーは一段と冷たく感じましたし、6分焚いた風呂も暑くありません。それえもそのはず、連れ合いが昨日の夜は不在で、風呂を焚いていなかったせいでした。いつも居る連れ合いが居ないとこんなにも寂しいものかとつくづく思ったのでした。
 今日は青森で初めて開催される第52回護憲大会です。金澤実行委員長が60年前同級生の寺山修司が「マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と詠んで祖国との訣別を宣言したが、60年後の9月19日に自分の意志とは関係なく「戦争をしない祖国」を失った。でも、あきらめることなく、青森からもういちど祖国を「戦争をしない国」にするために頑張りたいと決意を語りました。
 そのあと、中学の同期会・三甲会の忘年会で焼き鳥屋に行きました。いつもの天ぷら堤を変えたのがいけなかったのか、参加者は五人でした。印刷の山中、保健所の宮川、志功館の武田、FMの奥崎はまだ現役で、年金生活者は私だけでした。1次会で帰り、家で肉キャベツご飯を食べ、辰巳芳子さんの映画「命のスープ」を観ているうちに眠くなり、そのまま横になって寝てしまいました。

 今日の子規歳時は、
 蘭学の書生なりけり藥喰 (1901年、明治34年11月14日)
 晩年子規が牛肉を食わなかったのは、子規が34年5月、歯を痛めたため(5月1日の子規歳時参照)、それ以後は牛肉は食い得なくなったのであろうと、虚子は言っています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言126です。
 我每看运动会时,常常这样想;
 优胜者固然可敬,
 但那虽然落后而仍非跑至终点不止的竞技者,
 和见了这样竞技者而肃然不笑的看客,
 乃正是中国将来的脊梁。
 Wǒ měi kàn yùndònghuì shí, chángcháng zhèyàng xiǎng;
 yōushèng zhě gùrán kě jìng,
 dàn nà suīrán luòhòu ér réng fēi pǎo zhì zhōngdiǎn bùzhǐ de jìngjì zhě,
 hé jiànle zhèyàng jìngjì zhě ér sùrán bù xiào de kànkè,
 nǎi zhèng shì zhōngguó jiānglái de jǐliang.
「運動会を見るたびに、いつも考える。勝者はもとより敬うべきだが、遅れても絶対にゴールまで駆け抜けようとする選手と、その選手を見ながら粛然として笑わない観客、彼らこそまさに中国の将来の脊梁(せぼね)である、と。」

 今日の論語一日一章は、論語13-11(論語巻第七 子路第十三篇 11章)です。
 子曰、善人爲邦百年、亦可以勝残去殺矣、誠哉是言也、
 Zǐ yuē, shànrén wèi bāng bǎinián, yì kěyǐ shèng cán qù shā yǐ,
 chéngzāi shì yán yě,
(子曰,善人为邦百年,亦可以胜残去杀矣,诚哉是言也,)
「子曰わく、善人、邦を為むること百年、亦た以て残に勝ちて殺を去るべしと。誠なるかな、是の言や。」
孔子がいわれた、「聖人ではなく善人でも、百年も国に治めていれば、あばれ者をおさえて死刑をなくすることができるというが、本当だよ、この言葉は。」と。)