12月7日、長男は鶴亀温泉の岩盤浴につかって戻りました

 12月7日、月曜日です。長男が朝、温泉に行きたいというので、出町温泉か鶴亀温泉へ行きたいというので、11時52分の新幹線で東京へ帰るというので、鶴亀温泉に連れていきました。5日の昼に到着次第、彼の口から出た言葉は、「青森の煮干しラーメン、川よしの鰻、それにおいしい寿司が食べたい」でした。
 ラーメンは康家の名が出ましたが、駅から近くということで、昼は「ひらこ屋」のラーメンにしました。夜は「川よし」の鰻にしたのでした。あとは、6日の夜、千成で寿司を食べようということでしたが、あいにく日曜日なのに、家族連れやグループで満杯でしたので、三内の家の近くにできた回転寿司に行って、質より量で満足してもらいました。
 長男のもう一つの希望は、温泉でした。三男夫婦も含めて、家族との会話は5日にラーメンと鰻を食べた後、家でしただけで、6日は温泉三昧にしました。酸ヶ湯温泉と深沢温泉を堪能したと思いきや、長男は今朝起きると、家の近くの温泉に浸かってから東京へ戻りたいというのです。結局、露天風呂とサウナ・岩盤浴まである鶴亀温泉へ行きました。400円という値段に長男はびっくりしていました。アメリカには温泉に入るという文化はなく、東京では岩盤浴だけで千円以上するというのです。
 大満足して長男は東京へ帰っていきました。今夜も元プロ野球選手の友人と会食して、明日の昼の便で成田からロスへ戻るようです。「世話になった。また来ます」という長男をみて、幸せな男だと、つくづく感心したのでした。

 今日の子規歳時は、
 松山の城を見おろす寒哉 (1899年、明治22年12月7日)
 明治22年12月、東京上野のソバ屋無極庵で松山会が開かれました。集まったのは40人、子規は松山人の性格について演説し、また、東京と松山の比較表を読み上げたのでした。(22歳の子規が、上野の蕎麦屋で、松山人の性格を論じ、江戸東京とと松山の比較表までつくっていたとは、さすがです。)

 今日の魯迅箴言365日は、箴言149です。
 凡细小的事情,都可以不必介意。一旦身临其境,倒也没有什么,譬如在围城外之人所推想者之可怕也。
 Fán xìxiǎo de shìqíng, dōu kěyǐ bùbì jièyì. Yīdàn shēn lín qí jìng, dào yě méiyǒu shé me, pìrú zài wéichéng wài zhī rén suǒ tuīxiǎng zhě zhī kěpà yě.
 「とるにたらない些細なことには意に介さなくていい。一旦、その場に身を置いたら、たとえ、城の外にどんな恐いものがいようとも、倒れたふりをして、何もしないのがいいのだ」

 今日の論語一日一章は、論語14-4(論語巻第七 憲問第十四篇 4章)です。
 子曰、邦有道危言危行、邦無道危行言孫、
 Zǐ yuē, bāng yǒu dào wēiyán wēi xíng, bāng wúdào wēi xíng yán sūn,
 (子曰,邦有道危言危行,邦无道危行言孙,)
 「子曰わく、邦に道あれば、言を危しくし行を危しくす。邦に道なければ、行を危しくして言を孫う。」
 (孔子がいわれた、「国家に道があれば、ことばもきびしくし、行いもきびしくする。国家に道がなければ、行ないをきびしくして、ことばは害にあわないようにやわらげるものだ」と。)
 「国家に道がないのは、いまの日本も同じでしょう。自らの行いを厳しくしつつ、権力からの迫害をうけないように、ことばに気をつけなさい、そう孔子はいうのでしょうか。」