12月6日、外は真っ白、雪一面です

 長男と三人で朝を迎えた、12月6日、日曜日です。とても、好い朝です。しかし、外は真っ白。雪が路面も屋根も覆っています。タイヤ交換を昨日の川よしに行く前にやっておいてよかったと思います。これから、酸ヶ湯温泉、深沢温泉、そして八甲田温泉に親子三人で入ってきます。もっとも、女房は温泉には湯冷めしそうで入りたくないと言っています。
 遅い朝食を食べ、後片付けやら出発準備に手間取って、結局、11時過ぎに家を出たのですした。まず、長男の土産をもって義弟の筒井の家に行き、義父と義母の仏壇に線香をあげ、それから八甲田をめざしました。義弟の連れ合いが、八甲田温泉は、11月15日から冬季間休業に入ったというので、温泉巡りは酸ヶ湯温泉と深沢温泉だけになりました。昼の天気予報で酸ヶ湯温泉が81センチの積雪ということですこし不安になったのでした。なにしろ、運転が下手なうえに、プリウスは雪道とりわけ坂道に弱いからです。
 酸ヶ湯の道は上りが続き、しかもカーブもあり下りの車も来ることから注意して運転をしましたし、坂道の途中で止まれば動かなくなる可能性があるため、パワーモードでゆっくり登っていきました。酸ヶ湯温泉到着は1時15分でした。千人風呂と玉の湯の共通券で入場し、フロントで券を示すと黄色いバスタオルとタオルを渡されました。千人風呂は来るたびに混浴なのに閾がひろがり、男子の進入禁止の領域が広がっているのにはがっかりしました。湯気の立ちあがる薄暗い温泉で、見えもしない女性を意識する気持ちなど全くないのに、女性用の囲いを広げれば広げるほど秘湯の混浴がなくというものではないか。広々とした大きな浴槽に千人の男女がわけへだてなく自由闊達に浸かるというのが酸ヶ湯温泉酸ヶ湯温泉たるゆえんなのだと思うのですが、これも時代の流れなのでしょうか。
 玉の湯は小さな内湯で、4人が入ればせいぜいでした。こうして極大と極小の2つの湯につかり、売店でお土産を買って、車のエンジンをかけたのは2時45分でした。酸ヶ湯をでて、深沢温泉へ行くために田代高原への道を進みました。後藤伍長の銅像前に来ましたら、青森方面は通行止めになっていました。4時半には暗くなることから、すくなくとも暗くならないうちに、つまり4時には雲谷ヒルズまで下りていなければと思い、3時10分に深沢温泉につくとすぐ温泉に入りました。結局20分で温泉からでて、35分に深沢温泉をあとにしました。ひなびた普通の山の民家がそのまま温泉になったような感じで、ドラム缶を改造して作った薪ストーブがとっても暖かいのでした。後藤伍長のところから青森方面は通行止めなので、酸ヶ湯への道へもどって青森へ帰りましたが、坂道が凍結していて、下りのカーブでの制動がうまくいきません。下手にブレーキを踏むとスリップしますので、エンジンブレーキとポンピングでスピードダウンしながらそろそろと下ったのです。モヤヒルズの手前1キロくらいが一番滑って大変でした。幸い、大事に至りませんでしたが、内心ひやひやものでした。

 今日の子規歳時は、
 大殿の笑ひ聞えつ年忘れ (1898年、明治31年12月6日)
 中学生時代に、会費25銭で忘年会を開いています。その時、子規が女中に10銭の祝儀をやったのでした。一同がその不必要を唱えると、子規は仲居というものは祝儀で生活をしているのだと説明して聞かせたというのです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言148です。
 见事太明,做事即失其勇,庄子所谓”察见渊鱼者不祥”,盖不独谓将为众所忌,且于自己的前进亦有碍也。
 Jiàn shì tài míng, zuòshì jí shī qí yǒng, zhuāngzi suǒwèi” chá jiàn yuān yú zhě
bùxiáng”, gài bùdú wèi jiāng wèi zhòng suǒ jì, qiě yú zìjǐ de qiánjìn yì yǒu ài yě.
 「ことを為すのに勇敢でないことは、里人が『淵をみても魚がなんであるかわからない』のと同じで、大衆の忌むべきことに何ら力にならないことは明らかで、しかも自分のためにもなりません。」

 今日の論語一日一章は、論語14-3(論語巻第七 憲問第十四篇 3章)です。
 子曰、士而懐居、不足以爲士矣、
 Zǐ yuē, shì ér huái jū, bùzú yǐwéi shì yǐ,
(子曰,士而懷居,不足以为士矣,)
「子曰わく、士にして居を懐うは、以て士と為すに足らず。」
孔子がいわれた、「士人でありながら安住の場を慕っているのでは、士人とするには足りない。」と。)