12月12日、本当にさわやかな好い天気でした

 12月10日が寺山修司の誕生日でした。生きていれば、80歳です。寺山修司と個人的には面識はないのですが、高校時代から妙に気になる存在でした。

 今日の子規歳時は、
 霜やけの手より熬豆こぼしけり (1901年、明治34年12月12日)
 書生時代、借金をしたり人質までして盛んに寄席通いをした子規は、久しぶりの義太夫に輿を催し拍手しました。子規の弱り切った手を打っても音はしなかったようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言154です。
 现在的许多论客,多说我会发脾气,其实觉得自己倒是从来没有因为一点小事情,就成友或成仇的人。我还不少几十年的老朋友,要点就在彼此略小节而取其大。
 Xiànzài de xǔduō lùn kè, duō shuō wǒ huì fā píqì, qíshí juédé zìjǐ dǎoshì cóng
lái méiyǒu yīn wéi yīdiǎn xiǎo shìqíng, jiù chéng yǒu huò chéng chóu de rén.
Wǒ hái bù shǎo jǐ shí nián de lǎo péngyǒu, yàodiǎn jiù zài bǐcǐ è xiǎojié ér qǔ qí dà.
 「今の多くの評論家たちは、私が癇癪持ちだと言って、その実、ほんのちょっとしたことでも自分でできることはなにもないものだから、すぐに味方になったり敵になったりする。私の数十年来の古い友人の中には、大なり小なりこうしたことが往々にしてあるものだ。」
 
 今日の論語一日一章は、論語14-9(論語巻第七 憲問第十四篇 9章)です。
 子曰、爲命卑諶草創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子産潤色之、
 Zǐ yuē, wèi mìng bēi chén cǎochuàng zhī, shì shū tǎolùn zhī, xíngrén zǐ yǔ
xiū shì zhī, dōng lǐzi chǎn rùnsè zhī,
(子曰,为命卑谌草创之,世叔讨论之,行人子羽脩饰之,东里子产润色之,
「子曰わく、命を為るに卑諶これを草創し、世叔これを討論し、行人子羽これを脩飾し、東里の子産これを潤色す。」
孔子がいわれた、「鄭の国の外交文書は大変優れていて、落ち度がなかった。命令をつくるときには、卑諶が草稿を作り、世叔が検討し、外交官の子羽が添削し、東里にいた子産が色づけしたからだ。」と。)