12月29日、あすはいよいよ次男と孫がきます

 今日は12月29日です。昼に新町さくら野前で街宣をやり、夜は福士正一さんのおどらでく劇場の踊り納めの会へ行きました。
 
 今日の子規歳時は、
 詩百篇君去って歳行かんとす (1896年、明治29年12月29日)
 「松蘿玉液」は明治29年4月から12月30日にわたり「日本」に連載されました。31日「松蘿玉液子を祭る」を掲げて終わったのでした。長年月にわたる随筆の最初でした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言171です。
 胆子大和胡说乱骂,是相似而实非的。
 Dǎnzi dàhé húshuō luàn mà, shì xiāngsì ér shí fēi de.
 「肝っ玉の大きいのと出鱈目を言って罵るのとは、似て非なるものです。」

 今日の論語一日一章は、論語14-25(論語巻第七 憲問第十四篇 25章)です。
 蘧伯玉使人於孔子孔子與之坐而問焉、曰夫子何爲、對曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、
 Qú bó yù shǐ rén yú kǒngzǐ, kǒngzǐ yǔ zhī zuò ér wèn yān, yuē fūzǐ hé wèi, duì yuē, fūzǐ yù guǎ qíguò ér wèi néng yě, shǐzhě chū, zǐ yuē, shǐ hū shǐ hū,
 (蘧伯玉使人於孔子孔子与之坐问焉,曰夫子何为,对曰,夫子欲寡其过而未能也,使者出,子曰,使乎使乎,)
 「蘧伯玉、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰わく、夫子何をか為す。対えて曰わく、夫子は其の過ち寡なからんことを欲して、未だ能わざるなり。使者出ず。子曰わく、使いなるかな、使いなるかな。」
 (蘧伯玉が公子のところへ使いをよこした。孔子は使いの者を席につかせてから、たずねられた、「あの方はどうしておられますか。」答えて、「あの方は、自分の過ちの少ないようにとしておりますが、まだできないでいます。」使いの者が退出すると、孔子は「立派な使いだね。立派な使いだね。」といわれた。)